03. カウンセラーの座禅体験記(その3)

座禅会に、参加しましてきました。(2003年5月11日)
老師の話
人は、自分の意味の世界に引き込んで、物事を考えてしまう。
そこで、荒唐無稽ともいえる公案に立ち向かわせることで、意味の世界から引き剥がそうとする。
公案:香厳上樹
香厳和尚が問うた。
足が届かない高さの木の枝に、手を使わずにぶら下がっているとする。
その時、通りすがりの人から、「座禅の意味は何か?」と尋ねられたらどうすればよいか。
答えなければ問われたことに背いてしまい、答えれば木から落ちて死んでしまう。
独参
私 : | 木にぶら下がっていることが禅なのならば、何も答える必要はない |
老師 : | 普通の答えですなぁ~。 公案は、釣りのようなもの。 餌をつけておくと、意味の世界で釣れてくる。 だが、釣れてきたのなら、何とかしてあげよう。 |
私 : | 悟っていない人は、本当に悟っていないのですか? |
老師 : | 悟っている。 しかし、そのことに気づいていない。 すべての人の中に悟りはある。 けれども、公案を示すと、こうやって釣れてくる。 |
釣れるのが良いのか、釣れないのが良いのか??