依存
主体的な判断や行動が困難な状態に陥っている時に「あの人は依存的だ」というように表現されることがあります。
しかし、その状態を『依存』という言葉を使って説明してしまうと、その人が生まれながらにして持っている心の問題であるかのように誤解してしまいます。
もともと人は主体的な存在
赤ちゃんのことを想像すれば何となく分かると思うのですが、人が生まれた当初は、もともと主体的な存在です。
自分が感じるように感じ、自分が考えるように考え、自分がしたいように行動する存在です。
主体性を失う背景
赤ちゃんが成長する過程において、その養育者による『しつけ』と呼ばれる、感情・思考・行動を制御しようとする行動にしばしば直面するようになります。
これは、主体性よりも客観性を重視することを覚えさせようとする行為です。
このしつけの範囲の大小によって、その人の主体的な感情・思考・行動が許される範囲も大きくなったり小さくなったりするのです。
このしつけが強烈なら、行動する前に、その人の許可を得なければ、怖くて行動できなくなるのは当然のことだろうと思います。
親子関係以外でも、強固に支配しようとする人から容易に逃れられないと感じられる環境に置かれているとき、自分よりも相手の感情・思考・行動を規範として、自分をコントロールしなければならないような心境に陥ってしまいます。
主体的な行動を守る
また、主体的に行動した結果、いい事が起こることもあるし、悪いことが起こることもあします。
いい事が起これば特に問題はないのですが、悪いことが起こってつらい気持ちになったときに、その気持ちを支えてもらえるかどうかも、主体性を保つ為の重要な要素となります。
もし、つらい気持ちになったときに「だから、するなって言ったのに・・・」なんて言われ、つらい気持ちを癒してもらえない経験が続くと、次第に主体的に感じ・考え・行動することが怖くなってしまうのは当然のことなのです。
まとめ
もし、自分が依存的だと感じ、そこから抜け出したいと思うのなら、
- まず、これまで自分が強いられてきたルール
- そして、成人した後は、自分の周りにそのことを自分に強制する人はいないということ
に気づくことが大切です。 もし、今も強力な支配者に囚われてしまっている時は、その場所から少し距離をとることも、考慮する必要もあるのかもしれません。
次に、すべきことは、つらくなったときには、
- 優しくしてくれる人を見つけること
- そして、つらくなったときは一人っきりにならずに、その人に優しくしてもらう
- 自分が感じるように感じ、自分が考えるように考え、自分がしたいように行動しよう
ということです。
優しくしてもらえば、心は癒されて、また、 と思えるものです。
そうなれば、『依存』なんて言葉は、もうどうでもよくなるはずです。