08. コミュニケーションの回路を開く

他の人に自分の感情を認めてもらうことは、自分自身の感情を受容する助けになるということは、前に説明しました。
その準備として、コミュニケーションの回路が開かれているかを点検し、もし、閉じていたら、まず、その回路を開く方法を考えてみましょう。
回路さえ開く事が出来れば、意識して悩み事を解決しようとしなくても、自然に解決されていくのです。
カウンセリング目的の一つは、この回路を開くきっかけ作りだと考えています。
これまで、自分にとって望ましい人間関係を持つことが難しいと感じていたかもしれません。
しかし、自分の本当の気持ちに気付き、今まで、その気持ちが自由に振る舞うことを妨げていたものを理解すれば、コミュニケーションを開く準備は整います。
あとはコミュニケーションのきっかけさえ作れば良いのです。
人との関わりの中で感じる、居心地の悪さや嫌な感じは、あなたの望むコミュニケーションを手に入れる為のヒントです。
それらを理解して、もう一度、あなたの望む人間関係を持とうとチャレンジすれば、それを必ず手に入れることが出来ることを信じて下さい。
それは、新しい人と出会うことかもしれません。
また、同じ人とでも、これまでとは違った関係を築いていけるようになることかもしれません。
- コミュニケーションの回路は、必ず開く事ができます
- コミュニケーションの中で感じる嫌な感じは、コミュニケーションをあなたにとってより良いものにする為のヒントになります。
【補足】 08-01. なぜ、限られた人間関係にこだわってしまうのか
悩みの中で人間関係の範囲が限られてしまっている状態について考えてみます。
そのような限られた人間関係にこだわっている状態は、
- 自分の望む全てのものを与えてくれる人を探そうとし
- そして、自分が目をつけた相手がその人(自分の思い描く理想の相手)であることを望み続けてしまっている
といった状態になっていることが多くあります。
一人の人に全てを求めようとするのは、例えば次のような感じに似ています。
- 川を大木やいかだや浮き輪やボートや豪華客船までもが流れているのに、なぜか、わざわざワラを見つけようとし、そして、見つけたワラにしがみつこうとしてしまっている
これは、人間関係の中で生じる様々な違和感に身を任せてしまうことでコミュニケーションが閉ざされて陥ってしまう状態です。
結論を書くと、
といえます。
この現実を受けとめて、
ということが実現可能なことで、かつ、自分を満たすために十分なことなのです。
ということは、逆に、
ということもできます。
できることしかしてあげられないのは、他人も自分も同じなのです。
もし、限られた範囲の人に何かを望むとしたら、
- お互いの気持ちの全てを理解し合うことではなく
- お互いの気持ちをより深く理解し合おうと努力し合う関係を続けていくこと
なのだと思います。
それは、自分の欲するものを与えられ続けることでも、自分だけの思いを一方的に押し付けることでもありません。
お互いを、ただ知り続けていくだけ、お互いを、ただ知り続けていこうとするだけで良いのです。
【補足】 08-02. コミュニケーションを妨げるもの
8-2-1.錯覚
人の気持ちは、人によっても、時と場合によっても様々です。
ですから、相手とのコミュニケーションを行うことなく、相手の気持ちを想像するのは、不可能なことです。
- 表情によって
- 短い言葉によって
- ちょっとした行動によって
相手の気持ちの全てを理解することは出来ないのです。
しかし、相手の気持ちが分かったように錯覚する事は多いです。
相手の気持ちが分かったように錯覚してしまう背景には、次のようなものがあります。
- 相手の反応が決まりきっていた人と長期間にわたり関わらなければならなかった
- 相手の反応が時によって全く違う人と長期間にわたり関わらなければならなかった
- 相手の気持ちを問う事が許されないことが多かった
これには、もう一つポイントがあります。
『相手』を次の2通りの想定することができるということです。
- 現在直面している人間関係における相手
- 過去(特に、生まれ育った家庭)の人間関係における相手
人間関係に悩んでいる場合、相手の気持ちのことで悩んでいると思いがちなところがありますが、
- 自分の中にあるコミュニケーションに対する閉塞感
- 相手の中にあるコミュニケーションに対する閉塞感
によって、苦しんでいるというのが本当のところです。
『自分の心そのもの』、『相手の心そのもの』の問題ではないのです。
コミュニケーションが閉ざされているから、自分の想像力に頼るしかなくなってしまい、想像した相手の気持ちによって、困ってしまうのです。
ですから、本当の気持ちでのコミュニケーションが出来るようになることが重要です。
その為に、自分にできることは、まず、自分がコミュニケーションの回路を開く準備を整え、実践していくことです。
相手に確かめてもいないのに「相手の気持ちが分かった」と感じたときは、それを確信する前に、次の文章で機械的につつんで、もう一度言い直してみましょう。
また、自分の閉塞感の本質的な原因となっている人を思い浮かべようとしてみると、それが自分の目の前にいる人ではないということを確認する事につながり、目の前の人と本音のコミュニケーションをしてみようとする勇気につながることだと思います。
もし、勇気を出して行動した結果、つらい思いをすることになったとしても、心を癒すことをすれば、大丈夫になれるのです!
8-2-2.友達になりたい相手、友達として認めない相手
友達が居ないと思い込んでしまっているとき、実は、自分が気になる人の方ばかりに意識が向いてしまって、自分の近くにいる人が友達として関わってくれていても、それに気づかずに無視してしまっていることが多いと感じています。
【補足】 08-03. あなたは、どのようなタイミングで望みが叶わないと決める傾向がありますか?
少し、哲学的な話をさせて頂きます。
人生を、「始まりと終わり」という観点で区切ろうとすると、いくらでも細かく区切ることができます。
例えば、希望する学校に入学しようと勉強して、合格・不合格という結果を経験することも、一つの区切りとなります。
ただ、人生は、それを区切ろうとしなければ、
- 生まれて始まり、死んで終わる
ということになります。
つまり、我々が経験する多くの成功や失敗は、人生においてはただの途中でしかないということです。
死は突然訪れます。
『何かを成し遂げること』だけを人生の意味と考えていると、死を迎えるときに、それが達成されていない場合は、多くの未練が残ってしまうことだと思います。
また、人生の目標と意識していたことが達成されてしまった場合も、その先をどのように生きていけば分からなくなることだと思います。
もちろん、『何かを成し遂げる』ということは、人生にとって大切なことの一つだと言えます。
しかし、それよりも、『どういう状態で終わりを迎えることができるか』という方が大切なことだと思えるのです。
つまり、
- いつ終わりを迎えたとしても、「自分の人生は良かった」と思えるような状態に自分をしておく
ということが大切なのです。
「どうすれば、そのような状態になれるのだ!?」、「それが分かれば苦労はしないよ!」と怒られそうなのですが、『いかに途中を楽しむか』ということが、そのヒントになるのではないかと考えています。
人生が苦しいと感じるとき、
- 自分にとって良かった事を途中とし、悪かった事で終わりとして区切りをつける
という傾向に陥ってしまっていることがあります。
また、これは、人間関係においても、
- 感情や感覚や考えの相違をコミュニケーションの終わりと認識する
という傾向性として現れることが多いです。
しかし、人それぞれの感情・感覚・考えが違うのは当たり前のことです。
つまり、
と言えるのです。
ここで説明したようなことを『終わりと認識する』という傾向をもった人がダメだと言っているのではありません。
それらの傾向の背景には、
- それを身に付けなければやってこられなかった苦しい背景や事情
があるのです。
ですから、まず、そんな自分自身の背景や事情を理解して、自分の苦しさを自分自身が、ちゃんと理解してあげてください。
はじめにも説明しましたが、人生には、もともと何の区切りもないのですが、次のように捉えようとすれば、自分の人生を豊かにするためのヒントになるかもしれません。
- 自分にとって悪い事を途中とし、良かった事で終わりとして区切りをつける
- 感情や感覚や考えの相違を、コミュニケーションの始まりと認識する
このように区切りをつけるには、
- 「自分の願いは叶うだろう」という予感
- 「お互いを分かり合えるだろう」という予感
に、いつもつつまれている事が必要になってきます。
自分自身の背景や事情やその時の気持ちを理解し、見ないようにしてきた自分の本当の望みに目を向けようとすることは、そんな予感を取り戻すための大切な作業です。
また、
と考えてみてはいかがでしょう。
このように考えると、一つの目標への執着から自由になり、これまで途中としていた様々なことの中にある楽しみに気付いていくきっかけになると思います。
【補足】 08-04. コミュニケーションのポイント
正しいコミュニケーションを行うためのポイントを挙げておきます。
- 自分の感覚・感情を肯定する
- 自分の感情や感覚を人に伝える
- 自分の感覚や感情を受け入れてもらった時の違和感に慣れる
- コミュニケーションは、1往復で終わらせない
コミュニケーションの目的を正確に表現すると
ということができます。 もちろん、その反対として、
というものもあります。 どちらにしても、
- お互いに自分の感覚や感情を正しく伝えようとする
- お互いに相手のそれを受けとめようとする
としなければ、何も始まらないのです。