心を楽にするために振り返る子育て

01 「自分の心に問題がある」と認識し、自分を責める苦しさ

例え話で説明します。

小学校の先生が生徒に「1+1=?」という問題を出しました。

これに正解した人から帰宅することが許されます。

正しい答えは「2」なのですが、先生も他の生徒も、なぜか「369」だと思い込んでいます。

他の生徒たちは、先生の授業をしっかり聞いていたので、先生が間違って教えたことをそのまま覚えてしまったのです。

空想にふけっていたA君だけは、先生の話を聞いていなかったのでそれを知りません。

他の生徒は、ノートに「369」と書き、次々に先生からOKをもらって帰宅していきます。

A君はノートに正しい答えである「2」と書いて先生に見せますが、間違いだと言われます。

でも、A君は、なぜ間違いなのかが分かりません。

何度も先生に見せますが、OKをもらえるどころか、同じ答えを何回も見せて先生を不機嫌にしてしまいます。

「問題の写し間違い?」、「『+』に見えるけど『-』?」、「『=』に見えるけど『÷』?」、「もしかしたら、これはナゾナゾなの?」などと、いろいろ必死に考えても、いつまでも先生からOKはもらえません。

A君はとても苦しい気持ちですが、家に帰りたいので、苦しさをこらえて必死に考えます。

でも、考えれば考えるほど、分からなくなってしまいます。

考えれば考えるほど苦しくなってしまいます。

A君は携帯電話で友達からこっそり答えを教えてもらいました。

「369?」、A君は答えを聞いても理解できませんでしたが、もう考える余地はありません。

その答えを書いて、ようやく家に帰ることができました。

やがて、A君はある結論を導き出しました。

自分の頭はおかしいんだ・・・。

A君は、それ以降「自分の頭はおかしい」ということを受け入れます。

受け入れたといっても、A君は心のどこかにある「自分はおかしいんだ・・・」という思いによって、いつも漠然とした悲しい気持ちに包まれてしまいます。

でも、気が付けば、普通の人と同じになるために、「1+1=369」という式を理解しようと、いつも悲しい気持ちで考えてしまうようになったのです。

「心が苦しい=自分の心に問題がある」と考えることは、例え話の「1+1=369」という誤ったことを正しいことだと証明できる理屈を考えるのと同じです。

解決しようとする問題が間違っていれば、心の苦しさの「本当の原因」を解決できずに、心に苦しさを抱えてしまうのは当たり前のことなのです。

正しい答えは「1+1=369」ではなく「1+1=2」です。

ですから、この事態への正しい取り組みは、「1+1=369」が正しいことを証明することではなく、「1+1=?」という正しい問題に気付き、正しい問題に対する「本当の答え」を求めることです。

これを心の苦しさに当てはめてみると、「心が苦しいのは自分の心に問題があるからだ」ということを証明することではなく、「心が苦しいと感じる原因は何か。

但し、自分の心には何の問題もないものとする」という問題の答えを求めることです。

こう考えることで、初めて本当の答えの探索が始まるのです。  

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