心を楽にするために振り返る子育て

01 「息苦しさ」とその対処法

1-1 息苦しさ

1-1-1 「心の苦しさ」は解釈の誤り!?

私は長い間、自分を含めていろいろな方の心の苦しみと向き合ってきました。

心の苦しさの原因を追及する中で、現在の心に影響を及ぼす過去の要因(生育環境や子供の頃の体験など)についても、いろいろと考えてきました。

心の苦しさの根本原因を追及すれば、心の苦しさを抱える人の多くが感じているように、「過去(特に、子供の頃)の環境や体験が影響している」ということは確かなようです。

しかし、苦しさを感じているのは今現在の自分です。

ですから、現在の自分に直接作用して心が苦しいという感覚を生じさせる何かがあると考えられます。

そう考えると、心の苦しさを解消するために過去にこだわる必要はなくなります。

つらい体験の最中、動作は神経質になり、呼吸も浅くなります。

そして、そんな体験を繰り返していると、それらが「行動の癖」として身についてしまいます。

怒られても平気な人もいますが、黙り込んでしまう人もいます。

失敗したときに、正直に状況を説明する人もいますが、その状況から逃げ出したり、失敗を隠そうとしたりする人もいます。

これらは、人間性による反応の違いというよりは、過去に身につけた「行動の癖」の違いといえるのです。

行動の癖の中で、特に「心が苦しい」という感覚に影響を及ぼすのが、不自然な呼吸によって生じる「血液中の酸素が不足した状態」ではないかと考えています。

例えば、浅い呼吸を続けていると、息苦しくなります。

この「運動もしていないのに生じる息苦しさ」の解釈を間違えて、「心の苦しさ」と思い込んでいるだけかもしれないのです。

1-1-2 事実と解釈がかみ合っていない例

事実と解釈がかみ合っていない例を2つ挙げてみます。

猫舌

「猫舌」という言葉があります。この言葉を聞くと、生まれながらにして、熱いものを食べるのが苦手な体質があるように思ってしまいます。

しかし、猫舌は、ただ単に、熱いものを食べたり飲んだりするのが下手なだけです。

食べ方を見ていれば、その人が猫舌かどうかは大体分かると思っています。

歯が弱いから虫歯になりやすい

「歯が弱いから虫歯になりやすい」と言われることがあります。

これには一理あるかもしれませんが、それよりも食事や間食から歯磨きをするまでの間隔や、歯磨きの上手い下手の違いが、虫歯になりやすいかどうかの差が生じる真相だと思っています。

きちんと歯磨きをしているなら、虫歯になる理由は見つからないからです。

このように、科学が進歩していると思われている現在でも、非科学的な解釈を正しい解釈として受け入れていることがあるのです。

そして、この世の真実の全てが解明されてはいないのですから、正しいと思い込んでいる非科学的な解釈は、この他にもたくさんあると推測できます。

1-1-3 解釈を誤らせる要因

「心が苦しい」という解釈には、「人には心がある」と信じていることが関係しています。

「もし、心というものがないとしたら、その苦しさは何の苦しさですか?」という問いを真面目に考えてみると、胸の苦しさを心と結びつけられなくなるので、「胸が苦しいだけ」ということに気付くと思います。

単なる胸の苦しさなのに、それをあるかどうかも分からない心というものに関連づけてしまっては、解決できることでも解決できなくなるのは当然のことです。

問題のない自分の心の中に、問題を見つけようとすると、自分の様々な特徴を問題ではないかと疑わなければならなくなります。

特徴は、短所とか長所というように呼ばれることもあります。

ものごとには必ず二面性(多面性)があるので、どのような特徴でも、見方によっては長所とも短所とも捉えることができます。

しかし、問題を見つけるために、自分の特徴を吟味してしまうと、短所としての面しか意識に上らなくなります。

このような意識の状態になっていると、問題を解決しようとすればするほど、自分の多くを否定することになり、自分を追い詰めてしまいます。

そして、自分の様々な部分を否定し続けた結果、行き詰まってしまい、最悪の場合、「自分の心には、解決できない生まれ持った欠陥がある」という誤った結論を導き出し、人生に絶望することにもなるのです。

また、心の苦しさを抱えたまま長く過ごしてしまうと、誤った解決策に執着してしまいやすくなります。

そんなふうに自分を追い詰めてしまわないように、まず、心の苦しさは単なる胸の苦しさだということ、そして、考えるべきことは「なぜ、心が苦しいのか?」ではなく「なぜ、胸が苦しいのか?」ということなのです。

私も、今ではこのように考えられるようになりましたが、心の苦しさの真っただ中にいたときには、あの苦しさの原因が胸の苦しさだと言われても、受け入れられなかったと思います。

私は、長い間「自分の心に問題があるから苦しく感じてしまう」と思い込んでいました。

そして、そう思っているときは、「どうして自分の心はこんなにも苦しみを感じる心なんだ!」と責めてばかりで、余計に苦しい気持ちに自分を追い込んでいました。

そんな私が最終的にたどり着いたのが、「苦しいのは心ではなく胸である」という結論なのです。

いつも穏やかで楽な気持ちの人でも、悪い出来事を経験すると嫌な気持ちになります。

このとき、悪い出来事が嫌な気持ちの原因だと考えます。

このように考えるのは自然なことですし、普通は、直観的に気付いたことを感情の原因としても、大きな問題につながることは余りありません。

これに対して、慢性化した心の苦しさを抱えているときは、直観的に気付いたことを原因としてしまうと、不都合が生じます。その心の苦しさは、目の前の問題に気付く前から感じているものだからです。

自分の置かれている状況に、問題と思えることがあると、それらを心の苦しさの原因と解釈することができます。

このように考えると、心の苦しさは「原因が分からないために、解消できないもの」から「明確になっている原因を解決すれば、解消するもの」となります。

そして、まだ心の苦しさを抱えたままだったとしても、「心の苦しさは、いつかその原因を解決できれば解消する」と思えるので、気持ちが救われるのです。

そこで、自分の周りに、次々に問題と思えることを見つけ出して、それが大した問題でなくても、そのまま放っておけずに、解決しようとする傾向が現れることがあります。

また、コンプレックスにとらわれることもあります。

このようなとき、本人には、慢性化した心の苦しさを解消するために、そのような状態に陥っているという自覚がないことが多いです。

しかし、問題と考えられることが、いつも自分の周りにあるわけではありません。

また、そのような意識でものごとに向き合っているうちに、自分の周りから問題がなくなってしまうこともあります。

更に、「そのように問題を解決し続けても、心の苦しさは解消しない」と気付くこともあります。

そうすると、心の苦しさに正面から向き合わなければならなくなります。

そして、今度は、心の問題を見つけて解決しようとしたり、哲学的な世界に答えを求めたりするようになります。

また、過去の体験を原因と考えて「そのような体験をしてしまったこと」を悔やんだり、「そのような体験で苦しくなってしまう心」を責めるようになることもあります。

しかし、そのように考えても答えが見つからないので、更に追い詰められてしまい、自分の心そのものに問題がある、すなわち、自分という存在が問題だと考え、絶望してしまうこともあります。

「慢性化した心の苦しさは、遠い過去の経験などが複雑にからみ合って心に影響を及ぼし、心を変化させてしまったことによって生じている」という考え方も確かにあります。

しかし、過去にどのような経験をしたとしても、苦しさを感じているのは現在の心です。

ですから、現在の心を苦しめる直接的な要因が、現在も存在し続けていると考えることもできます。

つまり、過去の経験がもとになって形成された何らかのものが、現在の心を苦しめているということです。  

1-2 胸の苦しい感覚の解消について

心の苦しさだと思っていたことが胸の苦しさだったとしたら、心の苦しさの原因を、これまでとは違う視点で想定することが可能になります。

そこで浮かび上がってきたのが、「不自然な呼吸によって陥った酸欠による息苦しさが、心の苦しさの原因」という解釈です。

呼吸の癖、体を緊張させる癖、姿勢の癖など、これまでに身につけた動作の癖が、その時の状況に反応して、不自然な呼吸を引き起こすという考え方です。

以降、身体的な疾病を抱えていない前提で説明を続けます。

胸の苦しさの原因が不自然な呼吸だと仮定したとき、まず、考えられる対処は呼吸の改善です。

呼吸の改善は、生物の自然な営みである呼吸を、少しだけ変化させることですから、薬物療法や心理カウンセリングを受けることに比べれば試しやすいと思います。

呼吸を「特別な使い方」として活用する方法に「深呼吸」というものがあります。

深呼吸は、いろいろな場面で心を落ち着かせるのに役立ち、多くの人が自然に実践していることです。

そんな深呼吸は、慢性化した胸の苦しさも和らげてくれます。

同じように、呼吸の改善でも、慢性化した胸の苦しさが和らぐと期待できます。

呼吸の改善によって、「慢性化した心の苦しさ」の全てが改善するわけではありませんが、随分と楽になるはずです。「呼吸によって気持ちが楽になる」ということを理解した後に、まだ自分らしい行動を妨げる「心の癖」のようなことで困ることがあれば、個々に対処すれば良いのです。

「心の問題は、きれいサッパリと解決しなければならない」とか「心を楽にするためには、心に大きな苦しさを抱えたまま、もがき苦しまなくてはいけない」というような誤ったイメージは、もう捨ててください。

1-3 呼吸法

1-3-1 呼吸法の例

酸素が足りない状態を解消することに焦点を当てた呼吸法を紹介します。

(1)肺の中の空気を吐き切る

(2)空気を一気に吸い込み、新鮮な空気で肺を満たす

(3)「新鮮な空気が肺から体に取り込まれ、体の汚れたものが肺に溜まっていく様子」をイメージしながら5~7秒間息を止める

(4)「体の汚れたものが体の外へ排出されている様子」をイメージしながら、5~7秒間掛けて、肺の中の空気をゆっくりと吐き出し、最後まで吐き切る

これは瞑想で使われる呼吸法をヒントにしています。

(2)~(4)をしばらく繰り返していると、心が苦しいという感覚は次第に薄れていきます。

ポイントは、肺の中の空気を吐き切るところにあります。

吐き切るから新鮮な空気をたくさん吸い込めるようになります。

このような呼吸を練習すれば、普段の呼吸も少しずつ改善していきます。

また、ジョギングや水泳などの運動も呼吸の改善に役立ちます。

瞑想については、たくさんの書籍が出版されていますので、詳しいことはそれらを参考にしてください。

1-3-2 呼吸の改善で期待できること

呼吸の改善は、心の苦しさを軽減する他にも、次のようなことが期待できます。

依存症的な行動は、心の苦しさをスッキリさせるための行動が、特定の行動と結びついて固定化されてしまうため、心の苦しさを感じたときに、いつも決まった行動をしてしまうことによって起こります。

この呼吸法を活用すれば、依存症的な行動を軽減する助けになります。

強迫神経症的な行動(例えば、鍵を掛けた後、10回も20回もガチャガチャとドアを引っ張らなくては確認作業を止められない状態)は、心の苦しさの感覚と、その時々の行動が結びつくことによって起こります。

強迫神経症的な行動は、まだ、「行動を続けたい」という感覚が残っているところを儀式化によって強制的に終わらせることが多いのですが、行動する前に深呼吸をしておけば、「行動を続けたい」という感覚を薄れさせ、繰り返し行動に陥り難くします。

何かした後、誰にも迷惑をかけていないのに、嫌な感覚(罪悪感、自責の念、後悔、自己嫌悪など)にとらわれてしまうときにも、この呼吸法を活用すれば、その感覚は和らぎます。

1-3-3 補足

儀式化

例えば、「10回やってやめる。途中で回数が分からなくなってしまったら、最初からやり直して、10回やってやめる。」というように、やめるためのルールを決めることを儀式化といいます。

「あなたにもある心を回復する機能」の中で説明した呼吸法

以前、拙著「あなたにもある心を回復する機能」の中で説明した呼吸法は、胸の苦しさの感覚を呼吸に伴う感覚で置き換えることを意図した呼吸法です。

【引用】

息は鼻から吸い込みます。

吸い込んだ息を、胸の中心部(心があると感じる部分)に、当てるようにイメージします。

当たった息で、胸のあたりの苦しい感覚が溶けていくところをイメージします。

そして、溶けたものを口から吐き出すようにイメージしながら、ため息のように吐き出します。

(鼻が詰まっていて息を吸うことが難しいときは、唇を少しとがらせて、少し太めのストローで吸う感じに息を吸い込めば、息が当たる感覚が得やすいと思います。)

また、普段の呼吸が浅いと、心が苦しくなり易いところがあります。

普段の生活の中で、この呼吸法をたまに意識することで、心の浄化機能の1つを調整して、効果的に機能する状態にメンテナンスすることができます。

(「あなたにもある心を回復する機能」 p.97から引用) 

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