15. 座禅の価値
座禅の価値について、少し考えてみます。 何かの参考になればと思います。
私たち人間は、
- 『いつも、何かを求めて、何かをしている』
というところがあります。
ですから、目的や目標が無い状態がとても苦手です。
そして、
- 空いた時間ができれば、「この時間に何をすれば有意義に過ごせるのだろうか?」といったことを考えてしまう
- 自分が過ごした時間に『自分にとって価値があることをした』と思えないと、「時間を無駄に過ごしてしまった」と後悔してしまう
という思考に陥り易いのです。
また、この『価値』を求めてしまう感覚は、『人生』に対しても、同じような思考を起こさせてしまうところがあります。
同様の感覚によって、
- これまでの自分の人生を振り返って、「価値があった」とか「価値が無かった」とかを考えさせられる
- 自分の未来に対して、「価値ある人生にするためには何をなすべきか」とかを考えさせられる
といった状態に陥りがちになるのです。
- でも、その基準になる『価値』って、そもそも何なのでしょうか?
人生の終わりは、何の前ぶれもなく突然にやってきます。
ですから、、『何かを成し遂げる』ということに人生の価値を求めていると、恐らく、何かに対して『やり残した』という思いを持ったまま人生を終えてしまうことになるでしょう。
仮に、何かを成し遂げたとしても、何かを成し遂げた時点で、
- その先を生きていくことを正当化するための、別の目標や目的を、新しく見つけ出さなければならない
という状況に陥ってしまいます。
一般的に『価値』がありそうに思いがちなことは、実は、
- 家族や社会など、色々な人間関係の中での評価に関わること
がほとんどです。
そのような価値にとらわれて過ごすことは、
- 他人の考えに思考を巡らせることに気をとられてしまい、本当の自分を見つめることが疎かになってしまっている状態
ということができます。
しかし、『自分にとっての自分の価値』に気付くことができれば、もう、生きる為に理由を探す必要なくなるのです。
そして、意味不明な文章かもしれませんが、『自分を大いに生きられる』ようになるのです。
人は、大抵の場合、俗にいう『価値』に縛られた行動をし続けているので、なかなか本当の自分を見つめることが出来ません。
ですから、自分と向き合おうとすると、俗にいう『価値』に縛られた行動を止める必要があるのです。
でも、最初に述べたように、人は何もしないでいるということがとても苦手な動物です。
つまり、「何もしないこと」を「座禅をしている」と思うことで、「何かをしている」とうまく錯覚させてくれるのです。
そして、座禅をしている自分が、『座禅をしている』という意識から離れて、『何もしていない自分』になることができたとき、『座禅と一つになれた』ということになるのだろうと思います。
座禅をするということは、そういうことだと思います。
2005/03/07(月) 19:34:24