心を楽にするために振り返る子育て

21. 最後までスッキリしなかったこと

前章『20. 一番大切なこと』と、それに関連して書いた『子供の心との関わり方:親心(おやごころ)』で、心の苦しさについて理解の大きな流れがまとまったと感じていたのですが、最後にあと一つ引っ掛かっていることがありました。

これが本当に最後なのかは自信が無いのですが、ともかく、スッキリせずに引っ掛かっていたことを、ようやく理解出来ましたので記述しておきます。

引っ掛かっていたことは、

心に苦しさを抱えているということでは同じなのに、なぜ、
  • 人の道を踏み外さないでいられる人
  • 人の道を踏み外してしまう人
という差が生じるのだろう・・・?

ということです。 もっと言えば、

なぜ、無差別殺人といったことを犯すに至ってしまう人がいるのか?

ということです。

これをストレートに考えていくと、どうしても性善説・性悪説という議論に陥らざるを得なくなってしまいます。

しかし、私は、『全ての人は性善である』という仮説を捨てたくありませんでした。

そして、考え続けた結果、ある結論に達しましたのでご紹介します。

参考

これを理解するためには、この命題の誤りに気づく必要があったのです。

あるストーリー

まず、次の話を読んで下さい。

正確なことは覚えていないし、それが確かなことかは分からないのですが、参考になると思いますので、昔聞いたような気がする(苦笑)話をご紹介します。

(ちょっと、インターネットで調べてみたのですが、そんな話を見つけることができませんでした。ですから、「仮にそんな話があったとしたら・・・」ということで読んで下さい。)

[ あるストーリー ]
何百年も昔、西洋文明のある国が、まだ西洋文化の影響を受けていない南米のある国と戦争になりました。
何カ月もの間優劣のつかない戦いが続き、やがて、秋の収穫の時期がやってきました。
南米のある国は、当然のように戦争を中断し、収穫に取り掛かりました。
西洋のある国は、ここがチャンスと攻め込み、相手の国を滅ぼし勝利しました。

解説

現代社会の我々には、恐らく、「なぜ、戦争中なのに、それ中断してまで収穫を始めたのか?」ということを不思議い感じるだろうと思います。 しかし、滅ぼされた方の国では、

  • 生活の糧を得る『秋の収穫』は、何よりも大切のこと

という考えが当たり前だったということです。

ですから、そんな大切な時期にも戦争を中断せずに、攻め込んでくる西洋の国のことを不思議に感じたことだと思います。

もっと言えば、『狂気の集団』と感じたに違いありません。

常識や価値観の中に隠れる狂気

この例で、何が説明したかったかというと、

社会や国家がそれを受け入れてしまったとき、それは狂気ではなくなってしまう

ということです。

そして、埋もれていない狂気だけを取り出して、それだけを狂気として扱っているのが現在のあり様なのです。

最近の出来事

例えば、次のようなことは、『ひどい話』であるというのは日本の国民に共通する認識であることは間違いありませんが、それが『狂気』という認識には至っていないと思われます。

  • 耐震偽装事件
  • 毒入り米食品流通事件
  • 使用禁止薬物添加うなぎ事件、更に、その産地偽装事件
  • 倒産することが分かっているのにお客さんから住宅建設費を徴収した事件
  • オレオレ詐欺や振り込め詐欺など、人を騙したり脅したりして大金を巻き上げる事件

などに始まり、他にも、人の体や心を傷つけたりする事件が多発しています。

現代社会においては、みんなが慣れてしまっているのか分かりませんが、『殺人に比べたら大したことはない』という雰囲気が生じてしまっているような感じがします。

しかし、冷静に考えてみれば、それらは『正気の沙汰とは思えない行いである』という、普通の人が普通に感じる感覚を、直ぐに取り戻すことが出来ると思います。

なぜ、精神鑑定をしないのかが不思議に思える行いばかりです。

社会が許容してしまいがちな狂気の方向性

つまり、執着による行動のほとんどを『狂気』と位置付けても構わないと言えるのですが、そんな中で、唯一、現代社会において許されている狂気の方向があります。

それは、

  • お金もうけに走る
  • 権威や名誉に走る
  • 仕事に走る
  • 勉強・受験に走る
  • 子供の教育に走る

といったことで、主に経済活動・教育活動・社会活動に結びつくようなことです。

しかし、前に説明したように、それらの活動の中にも、狂気は存在しているのです。

ところが、現代において、社会(我々)は、それを狂気とは認識できなくなってしまっています。

それが、現代社会の狂気なのです。

現在は、そのような状況ですが、やがて最後(と言っても、遠い将来のことだとは思いますが・・・)には、現在社会で行われている経済活動そのものが『狂気』と認識される時がやってくるだろうと思っています。

地球温暖化や環境破壊への問題意識が高まりは、そんな緩やかな流れの一端だと考えています。

それ以外にも、これまでは経済社会や教育社会において問題視されていなかったことの中から、少しずつ狂気はあぶり出されていくことだと思います。

現代社会で重要なこと

とはいうものの、経済社会などを狂気と位置付けてしまっては、我々は現代社会で生きていくことができません。

ですから、社会に適応しつつも、狂気に染まらないように、社会から距離を置いて自分自身を大切にする時間も持つというバランス感覚が大切なのです。

みんながそのような感覚を持ってくれば、逆に、社会の狂気は薄れていくことだと思います。

そのために、家庭を癒しの場として活用することが大切です。

家庭に社会は持ち込まない方が良いでしょう。

しかし、社会で疲れた心はちゃんと持ち帰って、しっかりと癒されるべきなのです。

結論

余談が長くなってしまいましたので、そろそろ結論を書きます。

それは執着が引き起こす

狂気は執着によって生じます。

執着は心の苦しさが引き起こします。

【参考】

何に執着してしまったかの違いでしかない

初めに説明したように、『無差別殺人』だけが狂気ではありません。

ですから、その原因を考えるときは、「なぜ、無差別殺人を起こしたか?」ではなく、

  • なぜ、そのことに対して、それほどまでに執着しなければならない程、追い詰められてしまったのか?

です。 これが、私たちが本当に考えるべき命題なのです。

対策

異常な執着のもとになる要因を減らす

執着する対象(ものや行動など)は、大きく次の2つに分けられます。

  1. 自分で見つけたもの
  2. 情報・知識・一般常識・価値観など、外部から与えられるもの

このうち、少なくとも、2 による刺激は、社会の努力によって排除することが可能だと考えます。 例えば、

  • 予防に結びつかない事件・事故・犯罪などの情報(ニュース)は報道しない
  • 自殺に関する情報も流さない
  • ドラマや映画・ゲームなどには、殺人や暴力・自殺などのシーンは排除する

といった感じです。

極端なことを言えば、『殺人』や『自殺』という言葉自体を辞書や出版物などから抹消しても良いくらいです。

そして、それらの概念が社会の中で薄れていくにつれて、意図してそれらの行為を行う人も減っていくはずです。

心の苦しさを解消する

※ 詳細は省略します。

【参考】 など

心の苦しさを回復する機能を活性化させる

※ 詳細は省略します。

ドラマや映画などには、「誰かに寄り添ってもらいながら泣いたら心の苦しさが楽になった」というシーンを多用すべきだと考えています。
【参考】 など

余談

余談ですが・・・ 日本社会の改革を進めるためには、改革の前に、政治家や官僚たちを『執着する心』が支配していることに気づき、その執着から心を解き放つところから始めなければならないのかもしれない・・・ そんな気がします。

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