05. カウンセラーの座禅体験記(その5)

座禅会に、参加しましてきました。(2003年7月20日)
老師の話
平常心
二律の世界から脱した心
・「善」と「悪」
・「知」と「不知」 → 不疑 ※私たちは、いろいろなことを知識として理解したい。
どう解釈するかを考えるからいろいろな疑問が湧いてくる。
平常心であれば、疑う余地はない。
「因果の法則」
因果の法則(「悪因」があるから「悪果」となり、「善因」があれば「善果」となる)は仏教から来た言葉であるようだが、仏教では言わない。
江戸時代に道徳をもたすために使った手法
独参
私 : | 迷っています。座禅することに意味があるのでしょうか? 悟りというものが本当にあるのか? 「無」を思っても、自分がここにある限り思考が止まるはずがない 「道に近づこうとすれば道から離れる」という言葉は、理解できるが、理解できたところで何も始まらない。また、理解したと思うと、先に進めなくなってしまう。 |
老師 : | それは良かった! |
私 : | ??? |
老師 : | あなたも、ようやく一歩踏み出したって事です。私が持っているこの棒を「棒」と言ったところで意味がない。あなたの中の「座禅」についていた意味がはがれ始めたと言うことです。 |
私 : | 座禅を続けると、そこ何かがあるのでしょうか・・・。 |
老師 : | あります。素晴らしいものが間違いなくあります。 |