いじめ自殺
真の原因の追求を妨害するネーミング
『いじめ自殺』という言葉が、随分と当たり前のように使われるようになってしました。
そして、その予防のためには、『いじめ』をなくす必要があるとして、関係各所は、『いじめ』対策と称して様々なことを検討・実施しています。
しかし、自殺の原因を『いじめ』 としてしまって、本当に良いのかは疑問です。
やっぱり、個別の事情や状況があるので、それを一つのネーミングで表そうとするのは、もともと無理があるのです。
そして、そこをネーミングするから個別の解決が疎かになる、良く分からない曖昧な概念を解決しようとする状況に陥ってしまうのだろうと思います。
正しいネーミング
しかし、そこを無理にネーミングするとしたら、少し長いのですが、次のようなネーミングが、本質に近い表現になるのではないかと思っています。
|『いじめ』によって苦しいと感じていた気持ちを、誰にも打ち明けられずに抱えてしまったことにより、ひとりで苦しみと向き合うことに耐えられなくなった自殺
前の文章で、『いじめ』の部分を色々な言葉に変えてみると、毎年3万人を超える人が自殺してしまう日本人の事情を理解できるのではないかと思うのです。
日本人は、どうして、苦しみをひとりで抱えるようになってしまったのでしょう?
しかも、子供の時ですら、ひとりで抱え我慢しなければならない、個人個人の事情を理解し、その事情に対しての対策でなければ、子供が孤独のなかで自分自身を自殺に追い込んでしまうことから救い出すことは難しいだろうと思います。
「苦しい気持ち、話してごらん」と誰かから優しく声を掛けられて、そして、その時「助けて欲しい」と心の底では思っていても、なぜか「大丈夫」と答えてしまう。
なぜ、無邪気な子供たちが、そうなってしまったのか?
その事情や背景の中に、解決のヒントが隠されているのだろうと思います。
まとめ
『解決に結びつかない原因を匂わせるような言葉』は、私たちを、本当の解決から遠ざけてしまいます。
特に、マスコミなどによって安易に作り出された言葉には注意が必要です。