心を楽にするために振り返る子育て

躁(そう)状態・鬱(うつ)状態・躁鬱(そううつ)状態に関する仮説

心理的な苦痛と回復の経路の種類

心の苦しさがたどる2つの経路

心理的な苦痛の種類

心理的な苦痛は、一般的には「出来事によって直接的に生じた苦痛」を指していることが多いようなのですが、大きく次の2つに分けることができると考えています。

そして、の苦痛こそが、人の心を苦しみの深淵へと追いやるものの正体なのです。

1.出来事によって生じる心理的は苦痛

2.「出来事によって生じた心理的な苦痛」を抱えているときの心理的な苦痛

心理的な苦痛の回復の経路の種類

また、心理的な苦痛を感じたとき、たどる経路は、大きく次の2つに分類されると考えています。

a.適切に回復する

b.苦しさを抱え込む(苦しさに慣れる)

時が解決するというように表現されることがあるが、その中で適切に「回復する為の行動」をしなければ、回復することは無いと考えています。

「回復する為の行動」は、

  • 苦しいことを他の人に話す
  • 他の人に見守られながら泣く

という方法以上の効果的な方法はないと考えています。

人には、これらの行動によって、『心を回復する機能』が備わっているようです。

これは、自分の心の苦しさの回復の体験や、カウンセリングや催眠療法などの実践、自分の子育てにおける実践によって得られた経験則としての結論です。

ただ、動物には、「順応するという能力」があるので、次第に苦しさに慣れて、苦痛の中においても、苦痛を感じなくなります。

これを、回復した、立ち直ったと認識することも多いのです。

しかし、「回復する為の行動」を行なっていない場合は、回復している訳ではなく、順応しているだけと考えています。

心理的苦痛への順応の結末

心理的苦痛への順応の結末

人の順応する能力には限界があると考えています。

この限界には、多少の個人差はあるかもしれませんが、恐らく個人により大差は無いのだろうと想像しています。

心を回復させることなく、順応という手段で対応を続けていると、やがて、蓄積された苦しさが「苦しさを意識し始めるライン」を超えてしまいます。

そして、人は、慢性的な心の苦しさを意識するようになり、その苦しさを解決する為の原因探しが始まるのです。

しかし、苦しさを解決する為に考えた原因は、殆どの場合、的外れとなります。

なぜなら、心の苦しさを解決する為には、原因など必要ないからです。前述した「回復する為の行動」、

  • 苦しいことを他の人に話す
  • 他の人に見守られながら泣く

という方法すれば良いだけなのですが、『心を回復する機能』になされた封印を継続することを前提に、原因探しや解決策探しが行なわれるため、殆どの場合、この行為につながりません。

逆に、原因探しによって、新たな課題を抱えることになり、更に苦しい気持ちを増大させてしまうことが多いのです。

快と不快は異種なもの(相殺できない)

快と不快は異種なもの(相殺できない)

心理的な苦痛の原因探しとは別に、解決策を模索する中で、快の感覚が得られると期待される行動をとるようになることがあります。

しかし、快と不快は、性質の異なるものです。

その時は、快の感覚で不快な感覚を意識しないようにすることはできても、根本的に解消することは出来ません。

快の感覚が消えれば、一時的に感じなくなっていた不快を、再び感じることになります。

そこで、再び快の感覚で不快な感覚を打ち消そうと同様の行動を繰り返しがちになってしまいます。

この状態を、一般的には、依存症的な行動と呼んでいるようです。

躁状態・うつ状態・躁うつ状態に関する仮説

この考えに対象性を持たせると、次のような図になります。

>躁(そう)状態と鬱(うつ)状態に関する仮説

ポイントは、快も不快も排出すれば楽な状態になることができるし、排出しなければ蓄積されて、やがて、限界に達してしまうのだろうということです。

そして、次のようにまとめることができるのではないかと考えています。

  • 躁(そう)状態は、自分に生じた快の感覚を排出することが上手でない人が陥り易い
  • 鬱(うつ)状態は、自分に生じた不快の感覚を排出することが上手でない人が陥り易い
  • 躁鬱(そううつ)状態は、自分に生じた快・不快の双方の感覚を排出することが上手でない人が陥り易い

結論

  • 自分が嬉しい時には、一緒に喜んでくれそうな人を探して、しっかりと喜び快を吐き出す
  • 自分が苦しいときには、一緒に寄り添ってくれそうな人を探して、しっかりとつらそうにして不快を吐き出す

簡単に言うと、

「自分の感情を誰かと分かち合う」

ということになります。 その為に大切なことは、まず、自分の感情に気づくこと、そして、自分の感情を受け入れることです。

これとは別に、「自分の望みに気づくこと」ということも大切なのですが、この言葉は、大きな混乱を引き起こし易いところがありますので、また、別のところで説明したいと思います。

補足

快と不快は異質なものです。

そして、健康的な心理状態では、それを共存することは基本的には難しく、気分の流れは、

  • 快 =>  => 不快 =>  => 不快 =>  => 快 =>  => 快 => ~~~

というように、を介した波を描くのだろうと想像しています。

つまり、普通は、次のような状態にあるということです。

  • 快・不快のどちらかが解消しどちらか一方がが生じている状態
  • または、快・不快の双方が解消している状態

ところが、な状態に戻れない精神状態に陥ると、快と不快が共存する状況が発生してしまいます。

一般的には、『快』は行動を促進し、『不快』は行動を抑制します。

しかし、これらが共存してしまうと、

  • 『不快』が大きい場合は、『不快』が動機となる行動が起きやすくなる

のです。

つまり、人の道に反する行動に及んでしまう恐れを生じさせてしまい易いということです。

ただ、このような状態は、普通の生活の中では、よほど切羽詰らなければ陥りません。

一番危険なのは、『不快』な気分の時に、『不快』を緩和するのではなく、気分を高めるような対処をしてしまうことのような気するのです・・・。

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2009/03/22 – 18:06

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