02. 幸せの方程式
誰でも一度くらいは、「自分にとっての幸せって何だろう?」と考えたことがあるのではないかと思います。
しかし、漠然と考えてみても、その本当の答えを見つけることはできません。
これは、今の自分が何となく幸せではないように感じるから、その反対としての『幸せ』があたかも存在しているかのように錯覚して、「自分には、もっと幸せな状態があるはずだ」というような漠然とした雰囲気の中で過ごしているからです。
さて、ここで、心が満たされる為の方程式を『幸せ方程式』として、次のように定義します。
- ■幸せの方程式
- 望む + 行動する = 望みが叶う
望むことが実現するのですから、心が満たされないはずがないと思いませんか!?
「幸せでない」「満たされない」と感じているときは、この幸せの方程式が壊れているだけのことなのです。
ですから、この幸せの方程式を正しく機能する状態に整えさえすれば、悩みは解決します。
このように考えてみると、今まで解決できないと思い込んでいた悩みも、「もしかしたら、結構簡単に解決するかも・・・」と思えてきませんか!?
- 幸せは、何かの反対側にあるものではありません。
- 幸せの方程式 : 望む + 行動する = 望みを実現する
- 「望み、行動し、実現する」という一連をイメージできれば、既に幸せ!?
【補足】 02-01. 望む大切さ、望みが叶った事を知る大切さ
例えば、喫茶店で、何かを飲もうとすると、
- 自分が何かを飲みたいと感じていることに気づき、
- 何を飲みたいかを考え、
- 飲みたいものを飲もうと決断し、
- お店の人に自分の決断を伝える、
という一連の流れを経て、自分の望む飲み物を口にします。
つまり、自分を感じ、望み、考え、行動するということが、自分が満たされる為の最低条件になるのです。
時には、出された飲み物の美味い・不味いはあるかもしれませんが、まず、望まなければ始まらないのです。
そして、願ったものが手に入ったときは、細かい違いに意識を向けるよりも前に、まず、「望んだものが手に入った」、或いは、「願ったものを相手が与えてくれた」ということをきちんと認識することが大切です。
【補足】 02-02. 幸せの方程式が壊れる要因
2-2-1.幸せの方程式が壊れる要因
幸せの方程式が壊れる要因には、次の3つの場合があると考えています。
- (1).止めざるを得ないような具体的な力が働いている場合
- (2).そう感じてしまう予感を身にまとってしまっている場合
- (3).(1)と(2)が重なっている場合
(1)の場合は、現実をどのように対応するかを考える事で解決されます。
(2)の場合は、予感の元となった対象とその時の自分自身の様々な感情を理解することで、予感と現実は次第に分離していって、現実の場面では、過去のような状況は起こっていないということを理解できるようになり、そこで大丈夫な経験を繰り返す事で、身に付けていた予感から解放されていきます。
(3)の場合は、(2)を解決した後で、ようやく現実に起こっていること(1)に気付けるようになることが多いです。
現実の問題が認識できれば、後は、それを解決すれば、自分が直面している問題は解決できます。
2-2-2.幸せの方程式が壊れている状態
幸せの方程式が壊れる要因は、主に次のようなことが挙げられます
- 感じることを止めてしまっている
- 考えることを止めてしまっている
- 行動することを止めてしまっている
そのような状況において、これらは「望むことを止める」手法として用いられているのです。
ですから、悩みから解放されて幸せになる為には、次の課題に取り組めば良いということになります。
- どのようにしたら、再び、感じ始められるかを考える
- どのようにしたら、再び、考え始められるかを考える
- どのようにしたら、再び、行動し始められるかを考える
これらのことは、自分の望みを実現することを妨げる一部の力にこだわらないようになったり、実現するという予感を取り戻すことを、きっと手伝ってくれます。
もし、可能なら、あれこれと考える前に、とりあえず望んでみるということも一つの方法です。
【補足】 02-03. 望まない理由と漠然とした感覚
2-3-1.漠然とした感覚
「愛して欲しい」、「認めて欲しい」という感覚は、実際にどのようにしてもらえたらそれが満たされるのかということが具体的にイメージできていないことが殆どです。
つまり、特に具体的な望みはないのだけれども、「何か良いことが起こらないかなぁ~」と漠然と願っているような状態です。
このような感覚には、きっと、応えてもらえずに諦めた具体的な願いが隠されているだろうと考えています。
例えば、小さい子供が、外で辛い事があって、「お母さんに抱っこして安心させて欲しい」と感じ、それを求めた時に、お母さんが「我慢しなさい!」と抱っこしてくれなかったとします。
子供は、「抱っこ」は我慢するかもしれませんが、「安心させて欲しい」という気持ちは収まりません。
ですから、自分の気持ちを安心させる為の違う要求(例えば、「じゃぁ~、お話聴いてくれる?」など)を、いろいろ考えるだろうと思います。
(このとき、自分の願いの一つを無意識に諦めたということを意味します。)
それでも、お母さんが応えてくれず、安心させてもらえないことが続いたら、最後は、自分の気持ちを満足させる為に、お母さんに何を望めば良いのかが、分からなくなってしまいます。
そして、満たされていない「安心させて欲しい」という『漠然とした感覚』だけが残ってしまうのです。
つまり、望みを叶える為に何をして良いのか分からないモヤモヤとした感覚を感じることになります。
このように、漠然とした望みの中には、もともと求めていた具体的な願いと、それを諦めなければならなかった理由が隠されているのです。
2-3-2.望まないこと
『漠然とした感覚』は、そう感じるに至った人間関係の中では、とても役に立つ感覚です。
その理由は、その感覚があることで、願っても応えてくれない相手に、再び、同じようなことを願ってしまい、辛い思いを繰り返さなくても済むからです。
また、何も与えてくれない相手に対して、漠然と何かを与えてくれそうな予感を感じることで、何も与えてもらえない中でも、「安心に似た感覚」を感じていられるということもあります。
ところが、そう感じる元となった人間関係を離れると、その感覚はお互いの意思の疎通を阻害してしまうことにつながるのです。
2-3-3.望みを思い起こす
例えば、料理が下手なお母さんに、色々な料理を要求しても、おいしい料理にありつけなかったとき、「あぁ~、何かおいしいもの食べたいなぁ~」と思うかもしれません。
そして、それを、お母さんに言った時、お母さんが作ってくれる料理の中で一番マシだと感じるおにぎりを作ってくれたとします。
それ以上のものが期待できないのだから、それを「おいしいもの」とするしかありません。
また、「おいしいもの」という言葉に、当初含まれていたであろう期待感は、次第に薄れてしまいます。
でも、家庭以外の世界では、例えば、レストランで「何かおいしいもの」と注文しても、おにぎりは出てきませんし、それ以前に、何も食べることが出来ません。
そんな時、レストランのメニューを改めて眺めてみると、過去に諦めた料理の数々が並んでいることに気が付いたりします。
また、そのレストランのメニューに無くても、別のレストランにあることが期待することが出来るようになるのです。
- 何かを諦めて、とりあえず「おいしい」としてしまっている料理は、ありませんか?
- あなたが本当に食べたいと願っている料理は何ですか?
- あなたが通う『愛』を扱うレストランのメニューに、どんな料理が並んでいますか?
- 違うレストランのメニューには、どんな料理が並んでいるでしょう?
あなたが通いたいレストラン探しは、あの時に食べたかった料理を、もう一度、思い出すところから始まるのです。
そして、「親子丼を食べたい」と言ったとき、あなたの食べたい親子丼を食べることができるのです。