悩みを解決するヒント
01. 悩みのはじまり
極端な例ですが、人は『空を飛ぶことができない』といって悩むことはありません。
このことから、
- 「できない」ということが悩みにつながる必然性はない
ということは、理解して頂けるのではないでしょうか。
悩んでいるときは、いろいろ考えているつもりでも、実は「嫌な雰囲気」の中に身を置いて、今の自分を正当化する為の言い訳を一生懸命考えているような状態です。
そこで見つかった答えは、自分の本当の気持ちを見つめた答えではないので、なんだかピンときません。
だから、見つかった理由を、念仏のように何度も繰り返して、自分が自分自身を説得しようとしてしまい、なかなかその思考を止めることができなくなります。
「自分は○○○○できない。」と悩んでいるとき、実は
- 自分は○○○○したくない、でも、○○○○しなければならない
と考えたり、逆に、
- 自分は○○○○したい、でも○○○○してはいけない
と考えたりする状況に陥っている場合が多いように感じます。
ですから、「自分は○○○○できない。」といったことを考えているようなときには、
- 本当に、それをしたいのか?
- 本当に、それをしたくないのか?
- それをやらなければならないのか?
- なぜ、そのようにしなければならないのか?
- それをやってはいけないのか?
- なぜ、それをやってはいけないのか?
- それらとは別に、本当にしたいことはないのか?
といった問いの答えを理解しようとすると良いでしょう。
この問いと向き合うことは、自分の本当の気持ちを理解し、自分にとっての本当の解決に向かって歩き始める大切な一歩となります。
しかし、この問いと向き合うことの邪魔をするものがあります。
それは、『 常識 』 という名のフィルタです。
次の項では、そんなフィルタとして働いてしまう 『 常識 』 について説明します。
02. 常識という名のフィルタ
人が生きる環境において、人それぞれに、それぞれの常識が存在しています。
- 社会の常識
- 国の常識
- 時代の常識
- 地域の常識
- 家庭の常識
- 経験から得た個人の常識
- 学問としてひとまず確立してしまっている常識
などなど
それらの常識が複雑に絡み合って、その人その人に独特の世界観を形成しています。
普通、我々は「人はみんなが同じ世界で生きている」と思っています。
実際にそれは確かなことなのですが、正確には、
と言えるのです。
そして、人生が苦しかったり楽であったりといった違いも、この世界観の違いによって引き起こされます。
つまり、同じ人生でも、
という違いが生じるのです。
つまり、心の苦しさを解決するためには、人が変わる必要はなく、人の中に出来上がってしまった『その人にとっての常識』が変わるだけで良いのです。
これは、俗に言われている『プラス思考・マイナス思考』、『考え方を変える』などといったことを言っている訳ではありません。
ここまでの説明で早合点せずに、この先へと読み進めて下さい。
03. 悩みを解決するヒント
ほかの人の考えに触れることは、心に「新しい風」が吹き込みそれが解決のきっかけになります。
心に吹き込む新しい風。
あなたは、そんな何かを求めているのではないでしょうか?
「新しい」という言葉を考えると、
が必要です。
- いつもは話さない人と話してみたり
- これまでとはちょっと違うパターンの行動をしてみたり
- 興味のなかったやり方も知ろうとしてみたり
- 他人の行動を模倣したり
- あえて、流れに任せて様子を見たり
・・・・
そうすると、「新しい風」に出会う可能性は大きくなります。
特に、人との触れ合いの中では、「新しい風」が心に吹き込む可能性は高まります。
また、別の方向性もあります。
過去の偉大な僧が悟りを開いた話に、
という話があります。
そして、他の多くの僧も、 『 修行から離れた何でもない瞬間に悟りを開いた 』 といわれています。
修行僧のそんな 『 悟りを開いたパターン 』 をまねるのも、悩みを解決する有効な手段のひとつとなり得ます。
深く考え込んだ後は、もうそれ以上深く考えことは一旦終わりにして、とりあえず、悩みとは全く関係ないことをするような感じです。
- 音楽を聴いたり
- 温泉に行ったり
- 遊園地に行ったり
- 誰かの趣味に付き合ったり
・・・・etc…
これは、悩みを忘れようとすることではありません。
悩みは、忘れようとしても忘れられるようなものではありません。
ですから、『悩みを忘れること』を薦めている訳ではありません。
悩みの解決のために、悩むことを一旦お休みするのです。
そのような行動の中で、
- 関係のないことの中に解決のヒントが見つかったり
- 問題と思っていたことが、問題ではなくなったり
することは多いです。(気分転換としての効果も合わせて期待できます。)
04. 「変わらず続く苦痛」と「変化の時だけの苦痛」
そして、今辛いことに直面しているとき、
- 今のままの状態が続くこともつらい
- 変化することもつらい
といったように、そんな身動きが取れない状態に陥ってしまうことがあるのです。
そして、『 今の苦痛とともに生きる 』 ということを、意図せずして選んでしまい易いところがあります。
『今までと同じ状態に身を置く』ということは、『今以上に悪くはならない』という保証があるように、無意識に感じていることがあります。
しかし、実際には、そんな保証などどこにもないのです。
そのような無意識の決断の中で、良くなるためにできることは、『周りの状況が良いように変わる偶然を祈る』くらいしかありません。
自分の大切な人生を、そんな偶然に任せっきりにしてしまっていいのでしょうか?
「パターンを変える」ということには、悪くなるかもしれないというリスクもあります。
しかし、変えようとするから、自分が欲しいものを自分の力で手に入れることができる可能性も生まれてくるのです。
そして、その試行錯誤を繰り返していけば、最後には、本当に欲しかったものを、自分の手で掴むことにつながるのです。
その変化に伴う苦しみを、一人で耐えながら、試行錯誤を続けていくのはとても大変なことです。
一人きりで取り組もうとせずに、協力者(見守ってくれる人、寄り添ってくれる人)を見つけ、手伝ってもらおうとすることがとても大切なのです。
- 苦しい区切り方 : 成功を途中と認識し、失敗を終わりと認識する
- 楽な区切り方 : 失敗を途中と認識し、成功を終わりと認識する
後者で区切ることができたら、人生って結構ハッピーになりそうな予感がしませんか?!
05. 心の苦しさに取り組む異なる2つの方向性
心の苦しさに向き合う際の、異なる2つの方向性
自分の気持ちと向き合おうとしたり、心の苦しさを解決しようとしたりするときに、選択される手段は、その方向性によって、大きく2つに分類することが出来ます。
この2つの方向性を混乱したままに対処していると、堂々巡りの思考にはまり込んで、抜け出せなくなってしまう可能性があります。
ですから、『どちらの方向性を自分が選択しているのか』ということを、まず、自覚しておくことがとても大切です。
- 患ってしまった心の病気を治療・改善することで、心の苦しさを解消しようとする
- 『普通の心』が陥ってしまった『心が苦しいと感じる状態』から、『楽な状態』へと導こうとする
病気や症状の問題として取り組む
前者は、病気と認定されることによって、治療という医師による対処が開始されます。
この治療によって、『治癒される』流れがあるときは、その流れに乗ると、解決は早いと思うので活用すべきだと思います。
その説明は『症状のもう一つの説明』の最初にしていますので、そちらをご参照下さい。
《参照:症状のもう一つの説明》
https://www.pureheart-counseling.com/symptoms
心の苦しさを、『何らかの事情によって陥ってしまった状態』として取り組む
後者は、心の苦しさを、普通の人がある要因(環境、思想、暗示、事情・・・など)によって陥る状態であると考え、その人を含む全体性の中で調整を図ろうとします。
簡単に表現すると、
- 『病気ではない』という立場に立って向き合う
ということも出来ますが、正確には、
- 『病気である』とか『病気でない』という区別とは、無縁の立場に立って向き合う
と言った方がより正しいと思います。
『心の病気』という立場からのアプローチの例
これらの情報は、インターネットや書籍の情報として多数出回っているので、そちらを参照して頂くということで割愛します。
《参照:症状のもう一つの説明》
https://www.pureheart-counseling.com/symptoms
『病気』とは無縁の立場からのアプローチの例
座禅
- 「座禅をしている」という錯覚のもと、何もしていない自分、何の役割も持たない素の自分の心と向き合う
- 社会の常識によって惑わされた主観を脱ぎ捨て、自分本来の真の主観を取り戻す
これは、社会の常識・非常識による意味づけで、それらの言葉を用いて、自分の心を説明しても、それは本当の自分を説明したことにはなりません。
社会の常識・非常識に当てはまるように理解したに過ぎません。
社会が持たせた言葉への様々な意味づけから自由になれたとき、或いは、その方向性に気づいたとき、真の主観を取り戻すことができるのです。
そんなことを、禅の師匠は言っていたのだと理解しています。
https://www.pureheart-counseling.com/zazen
無門関
「無門関」は公案(禅問答のようなもの)を集めたものです。(1つの話が1ページ程度のものです。)
私が通っていたお寺では、公案も、私たちが『意味の世界』から離れる助けになると、活用していました。
私は、便所本として常備しています。当初は、「何を言っているのか分からない!?」と思いながら、喜んでいました。
座禅体験記の中でも、いくつか公案を紹介していますので、まずは、そちらを。
https://www.pureheart-counseling.com/zazen
禅の本
禅に興味がある方は、この本が分かり易いと思います。座禅への科学的なアプローチも紹介されています。
『精神病という認識』に関する歴史や背景を理解する
病名・症状名などは、国内外の学会・医学界などの権威組織、行政、時代背景などの影響を受けたもので、病名・症状名などが科学に基づいた真実を表している訳ではありません。
『精神病という認識』に関する歴史や背景を理解すると、病名や症状名への執着から離れ、本当の自分の気持ちと向き合うきっかけになる可能性は大きいと思います。
おすすめの書籍
精神病の歴史というと読みにくそうな感じがしているのですが、私は、とても読みやすく感じました。
結論として、今後の思考や行動の方向性だけを示す
同じようなことを、みんなが一から同じことを考えていても、時間の無駄ですし、特に心のことは、現代社会の常識から抜け出した位置から眺めないと、なかなか正解にはたどり着くことが出来ません。
もし、答えが出ていたとしたら・・・。
その答えに基づく、行動や思考方法だけを提示するのも、心の苦しさから抜け出す手伝いになると思います。
おすすめの書籍
この本の紹介に『茂木健一郎』という人が出てきますが、『脳』とは無関係だと思っておいたほうが良いと思います。
一見、自己啓発本のような、漠然とした「幸せをつかむ方法」を書いた本のような印象を受けます。
でも、私は、この本を読みながら、「そうそう、結局、私が言いたかったのはこんなことなのかもしれない・・・」と思いながら読みました。
当サイト
当サイトは、『心の苦しさ』について、普通の人の気持ちの流れとして理解しようとし、また、専門用語を使わない普通の言葉で説明することによって、『心の病気』という認識から、『普通の心が陥ってしまっている状態』という認識に引き戻そうとしています。
そのような認識の変化が、「普通の心は、どのような時に苦しくなり、どのようなときに楽になるのか」というように、『心の普通の営み』として向き合えるようになることにつながります。
そして、そんな『心の普通の営み』に対して正しく対処すれば、『心の苦しさを抱え込む状態』から解放されて、『苦しくなっても楽に戻れる状態』になることができるのです。
そんな内容を一冊の本にまとめました。
1部は理屈っぽい人たちを、理屈から引き離す為に、理屈っぽい表現で、心の苦しさについて表現しています。(少し、読みにくいかもしれません・・・)
2部は、心の苦しさを解決する方法を、具体的に説明しています。
2部と、合間に配置したトピックスは読みやすいと思います。
是非、お読み下さい!よろしくお願いします。
心身のバランスを整える
栄養のバランスが、心の苦しさと関係あるという考え方があります。
このような考え方も、結構、大切だと思います。
おすすめの書籍
栄養と心の関係についてざっと理解するには良い本です。
これを読んで、私は、昔から言われている『規則正しい食生活』をしようと思いました。
その他
あと、規則正しい生活、規則正しい睡眠、適度の運動なども影響するだろうと考えています。
その辺りは、情報収集できたら、また、別途、ご紹介します。
06.心が回復する流れのイメージ
心が苦しさから回復する正しいイメージと、それが身に付く流れ
心が楽な状態に回復する流れ
苦しい気持ちになっているとき、心が楽な状態に回復する流れのイメージが間違っていると、なかなか苦しい状態から抜け出すことができません。
私たちは、原因があるから結果があると考えがちです。
その考え方に従えば、「心が苦しくなる前の状態に戻せれば、心を回復させられる」と思ってその方法を考えようとするのは、自然な流れです。
逆に、もとに戻らないことが確定的なら、過去の出来事を忘れようとしたり、今感じている心の苦しさを感じなくしようとしたりするのも、また、自然な流れかもしれません。
これを図にすると、下図【心の回復のイメージ】の左のようになります。
これは当たり前のように思えるかもしれませんが、実は誤りです。
この誤ったイメージが、心の苦しさの解決を妨げるだけでなく、様々な執着や新たな苦しさを引き起こしてしまいます。
正しいイメージは右図です。
左図と右図は
- 左図 : 前に戻ることで心の苦しさを解決しようとする
- 右図 : 先に進むことで心の苦しさを解決しようとする
と理解することもできます。
(右図は前に進んだ結果、心が苦しさを経験する前の状態に戻ることを表しています。)
そして、前に進んで心の苦しさを解決できる具体的な方法が、ブログやホームページで何度も書いている「誰かに見守られながら 、安心な雰囲気の中で、スッキリして安心になるまで泣く」ということなのです。
『心を回復するサイクル』を完成させる
泣き始められたら、スッキリする前に、それを中断してはいけません。
次に、その理由を説明します。
実際には、ただ泣くだけでも、気持ちは随分と楽になるところがありますが、それだけでは足りません。
それだけでは、上の左図的な思考からは解放されないのです。
泣いた人は、『泣いて気持ちが楽になる』という経験をしているはずなのですが、心を楽にすることができた行動を、今後も活用しようとは思わないばかりか、逆に、「今回のように泣くという恥ずかしいことはしないで、自分だけの力で解決していきたい」と強く決意しがちです。
その理由は、「泣いてはいけない」という暗示が、過去に心の奥底に植えつけられてしまっているからです。
その根深い暗示から解放されるには、
- スッキリとして安心な気持ちになるまでしっかりと泣き切ること 【浄化(カタルシス)作用】
- 泣いている自分を、誰かに暖かく見守ってもらうこと 【泣く行動の肯定】
が必要なのです。
この2つを、一度でもいいからしっかりと体験すると、体験者の中に心を回復するサイクルのイメージが確立し、その後の人生でも活用できるようになります。
『心を回復するサイクル』の基礎は、親との関係の中で身につける
心を回復するサイクルの基礎は、普通は、幼少期に、親の関わりによって身につけていくものだと考えています。
子供の頃に、
- 泣いているときに、親に抱き上げられた
- 泣いているときに、抱き上げられずに、一人で放置された
という経験の比率が影響すると考えています。
『泣いている子供が安心になって泣き止むまで、しっかりと抱き上げる』という習慣が、親にあるかどうかが、その子に、
- 苦しみに耐え続ける人生
- 苦しくなっても楽な状態を取り戻しながら生きていける人生
のいずれを与えるかを左右するのです。
精神的な苦しさだけでなく、身体的な痛さに耐えているようなときも同じです。
痛がっていたら、痛さが治まるまでさすってもらったり、「ここが痛いのか?痛いね痛いね…」と一緒に痛がってもらったりする体験も大切です。
軟膏は傷の薬、「チチンプイプイ、痛いの痛いの飛んでいけーっ!」は、心の薬です。人には、その両方が必要なのです。
これが非常に大切です。ここを疎かにすると、子供に「つらい気持ちになればなるほど、一人になりたがる」という悲しい習慣を身につけさせてしまいます。
その習慣は、子供の成長過程や成人後の人生において、やがて、人の心を苦しみへと追い込んでしまうのです。
逆に、子供が「苦しいときはには、いつも誰かがそばに寄り添ってくれる」ということを繰り返し経験すれば、心を回復するサイクルのイメージを確かなもとのします。
そして、心を回復するサイクルの確かなイメージが、心の内側から 安心感 ・ 安定感 ・ 一体感 ・ 自信 を生じさせ、それを強化します。
「子供を、強い人間に育てたい」、「困難を自分で乗り越えられる人に育てたい」と考えるのは親心かもしれません。
しかし、子供が泣いても一人きりで放置し、自分で考えて行動するこの強要することを繰り返していては、子供は心が回復するサイクルのイメージを持つことができません。
いくら「子供のためだ」という魔法の言葉を付け加えたところで、子供のためにならないことを子供のためになることには変えられません。
子供は、不安な気持ちのまま、親の期待する「強い心を持つ人」を演じなければならなくなってしまいます。
(やがて、子供の心の疲労が限界に達してしまうのは当たり前です。)
「一人で対処できる人になって欲しい」と親が願っているときに、自分で考え行動することを子供に課すにしても、それは痛さやつらさが治まったあとにすれば良いことです。
しかし、子供の心が回復した後は、もはや子供に自分で考え行動することを要求するには及びません。
子供の心が回復すれば、親が強制しなくても、子供は勝手に自分で考え行動するのですから…。
「心を回復するサイクル」はいつでも身に付けられる
「子供の頃に泣いていても抱き上げてもらえなかったから、自分は心に苦しさを抱えることになってしまった。
当然、子供の頃に戻ることはできない。
だから、もう楽な人生を手に入れることなんてできないんだ…」
と嘆く必要はありません。
心を回復するサイクルは、その大切さに気付き、それを手に入れたいと願ったときには、いつでも手に入れることができます。
初めの方にも書きましたが、そのためにすることはたったの2つです。
- スッキリとして安心な気持ちになるまでしっかりと泣き切ること
- 泣いている自分を、誰かに暖かく見守ってもらうこと
これらを1度でだけ、しっかりやれば良いのです。
それだけのことで、これまで人生を覆っていた呪いのような暗示から解放されて、心を回復するサイクルが正常に機能し始めます。
心が苦しいと感じたときは、いつでもそのサイクルによって心を楽な状態に回復させることができるようになる、つまり、苦しみ続けなくても構わない人生を手に入れることができるのです。
また、心が回復することを繰り返し体験することによって、心を回復するサイクルのイメージは更に強化されます。
そのイメージが確かなものとして心に定着していくにつれて、安心感が増大し、やがて心の内側から自然な勇気を湧き出てきます。
例えば、次のような感じです。
私たちは、多少の切り傷を負っても、それが自然に治癒することを知っています。
だから、ススキの生い茂る草むらに、小鳥の巣がある気配を感じてワクワクすれば、半袖半ズボンでも入っていくことが出来るのです。
もし、「切り傷は絶対に治らない」と信じ込んでいれば、どんなにワクワクする気持ちがあったとしても、決して入っていくことはできません。
心もそれと同じです。
とても、簡単なことなのです。
このようにして心の内側から自然に湧きだした勇気こそが、みんなが欲しがっている心の強さの正体です。
そんな勇気を手に入れるために、まず、強がりを止めるところから始めてみませんか?
2010/09/11 – 08:32