自殺
人は、時に、自分自身を殺す事を選択肢の一つとして「死」を意識してしまう事があります。
しかし、もともと人間は、他の動物と同様に、本能的に死を回避しようとすることから、人には「生きていたい」というしっかりとした欲求があります。
だから、「死にたい」という言葉の裏側には、「もっと楽に生きたい!」「愛されながら生きたい!」「死んだ方が楽に感じてしまうほど、今が苦しい!」「誰か助けて!」「自分の存在を認めて!」という、生き続けようとするう心の叫びが隠されているのだと信じています。
にも関わらず、「死にたい」という言葉を『自分の本当の気持ち』として錯覚してしまっているところがあります。
「死にたい」とか『自殺』といった言葉は、感情と解決策(案)が結びついた言葉です。
- 感情は、「苦しい」
- 解決策(案)は、「死ぬ」
ということです。
これは、解決する方法が分からないから、苦し紛れに「死ぬ」という方法を解決策の一つとして選んでしまっている感じです。
『自殺』という言葉を意識しているときは、そんな誤った解決策によって成り立っている言葉に、心があまりにも苦しいので視野狭窄になって執着してしまっているのです。
しかし、その言葉の裏に隠れている本当の叫びは、
という『生きることへの希望』です。
【補足】
もし、自殺したら地獄に行って苦しみから永遠に抜け出すことができなくなるという噂が真実だと確認されるようなことがあれば、心の苦しさの解決策として、『自殺』という行動は決して選ばれなくなるはずです。
『自殺』というのは、「死んだら楽になるはず」という仮説に基づく行為なのです。
【参考】
私は、スピリチュアルのことはサッパリ分かりませんので、その辺のことに興味がある方は、次のリンクで表示される本屋DVDを参考にしてみて下さい。 ==> 江原啓之
私が、何となく理解したことは、「仮に来世があったとしても、現世の続きをすることになる。つまり、自殺しても、楽にはならないようだ」ということです。
そういう意味でも、今生きている間に(現世のうちに)、楽な気持ちになっておいた方が良いということになるのだと思います。
そして、その方法さえ知れば、実際に楽な気持ちになることができるのですから!
ですから、心の苦しさを解消して楽な心へと導く明確な解決策が分かれば、「死にたい」といっていた言葉も、自ずと変わってきます。
心の苦しさを解消し心を楽な状態へ導くことができる唯一の方法があります。
それは、
- 苦しい気持ちを誰かに話し
- 誰かに見守られながら、安心な雰囲気を感じながら、涙が枯れるまでとことん泣く
ということです。
現代の人たちは、難しく考えてばかりいるだけで、たったこれだけの簡単なことをやろうとはしません。
心の苦しさの原因を考えるのはもうやめて、「泣いて話すことはどのようにしたら実現できるか」という方法を考え、実践するようにしてください。
それだけのことなのです。
しかし、それだけのことが、とても難しく思えて困ってしまっているのです。