固着
一般的に固着は、『口唇期・肛門期・男根期のように区切られた発達段階において、過度の欲求の充足・不充足によって生じた、その対象への執着』のことを指し、その後の心理的発達に影響を及ぼすというように理解されています。
そんな固着について、少し考えてみます。
乳児期
乳児期においての行動の動機は、『不快の解消』です。
そして、それらは至って単純なこと(満腹・清潔・母子密着による安心・安全など)で解消することができます。
これらは乳児が生きていくために必要ですから、乳児自身が何とかして実現しなくてはいけません。
しかし、それを自分自身が行動することによって実現することはできませんから、主に母親の力を借りて実現することになります。
その為には、乳児は不快を感じると『泣く』という行動によって、満たされる予感を感じるまで、『足りていない』ということを伝えるのです。
満たされる予感が感じられないうちは、それが感じられるまで、それを泣くという行動を継続することで伝え続けます。
その伝える続ける様子は、足りないことに執着していると捉えることもできます。
このように考えると、執着とは、必要なものを必要なタイミングで必要な分だけ手に入れるために備わっている機能というように考えることもできます。
乳児の本能的な要求は、生存の為の最低限のものと考えられる為、それらを手に入れて満足することによって終わらなければなりませんし、通常は、母子関係において自然な流れで実現されます。
しかし、外部からの要因(母親の意思も含む)によって、それが強制的に中断されたり、与えられるタイミングや量をコントロールされたりした場合、満足にいたらない為に、その未達成の要求は継続されることになり、その状況が慢性的になった状態が、固着といわれている状態なのだろうと考えています。
幼児期
乳児期の欲求は生きるために必要なことに限られていましたが、成長するにつれて、興味による欲求が加わってきます。
これは、生きるためにどうしても必要なことでもないので、本来ならば、執着する必要などないことです。
また、幼児は、もともとは感覚的な行動によって得られる範囲の満足を求めているのですが、成長と共に、そこに思考というステップが加わり、欲求は複雑化していくことになります。
単純な欲求が満たされない時は、その代わりになる代替案を考えることができるようになるからです。
また、逆に、親から代替のものを提案されることによって、この代替思考は定着し、もともとの感覚的で単純な欲求が埋もれてしまい分かり難くなるのです。
幼児の意識と主張される内容は『欲求の達成』という部分に集中していますが、もともとの目的は、欲求が未達成になっていることによる不快を解消することです。
幼児にとって、欲求が達成されることも大切ですが、それよりも不快を解消することの方が重要なのです。
しかし、多くの場合、親の意識は、この不快の解消の方には向きません。
そんな中で、幼児の欲求を親が拒否してしまうと、幼児は親によって不快を解消することができなくなると共に、更に、親の拒絶による新たな不快まで背負わなくてはならなくなってしまいます。
そして、多くの場合、最後は子供が親の要求に屈することで、親からの更なる不快の供給を食い止め、その後の安心を取り戻すことになります。
しかし、もともとの欲求が実現されないことによる不快は解消されることはなく、この一連の経験の中で、更に強化されてしまいます。
その結果、乳児期と同じ原理によってそのことに対する固着が生じることになるのだろうと考えています。
固着の回避
固着の原因は、欲求の中断されたことよりも、一連の経験の中で生じた不快感が放置されたままになることにあると考えています。
幼児の欲求を中断させたとしても、それに伴う不快感を受けとめて解消してあげる対処をすれば、おそらく、それに固着が生じることはありません。