心を楽にするために振り返る子育て

08 自分の気持ちが分からない苦しさ

意識が心の苦しさに集中してしまっているとき、「本当の自分の気持ちが分からない」と感じてしまうことがあります。

「本当の気持ちは何だろう?」、そんなことを考えているうちに、「自分探し」という言葉と出合ってしまうと、自分の深層心理に隠されている「自分の正体」のようなものを追い求めてしまうこともあります。

しかし、それがちょっとした興味によるものではなく、心の苦しさを解決するためだとしたら、自分探しを続けるのは考え直した方が良いと思います。

それは、出口の見えない苦しいだけの旅になる可能性があるからです。

本当の気持ちという言葉で使われている「気持ち」という言葉は、とても曖昧な言葉です。

それが、何を指しているのかを考え始めると、それだけでわけが分からなくなってしまいます。

そんな「気持ち」という言葉に、「本当の」という言葉をつけると、ますます分からなくなってしまいます。

なぜ、わざわざ「本当の」という言葉をつけた「気持ち」を探そうとするのかというと、普段の「気持ち」が本当ではないと感じているからです。

そこに、更に「本当の」という言葉をつけることによって、普段の気持ちは、ますます「本当」の裏返しの「嘘」だと思えてしまうのです。

次に、普段の自分の気持ちを「本当ではない」と思ってしまう理由について説明します。

本来は、ものごとを自分という基準(感覚・感情・価値観(考え)など)によって、主観的に評価し、その評価に基づいて判断します。

もちろん、社会に適応するために、一般常識も参考にしますが、根幹には自分という基準があります。

ところが、自分で考えたことを疑い始めると、自分以外の価値観や一般常識で、自分の感覚や感情や価値観などを評価するようになり、基準が逆転してしまいます。

自分以外から与えられることが基準になるわけですから、「自分の気持ちが分からない」、「自分がない」などと感じてしまうのは当たり前のことなのです。

そして、自分に生じた感覚・感情・考えは本当のことではないような錯覚に陥って、その裏返しとしてあたかも本当の気持ちというものが実在するかのように思い込んでしまうのです。

本当の気持ちの「気持ち」を、感情・考え・望みの3つに分解し、それに「本当の」をつけてみると、「本当の考え」、「本当の望み」、「本当の感情」という言葉ができあがります。

「感情」は、その感情による苦しさから自分を守るために、感じていることを意識できなくなることはあっても、必ず感じているものです。

自分が何かを感じていることに気付いたら、それは、「本当の感情」です。疑う必要もなければ、否定する必要もありません。

ところが、「考え」や「望み」といったことは、その時々で変化するのは当然ですし、感情によっても変化するものなので、「本当の考え」、「本当の望み」という状態に定まることはありません。

ですから、「本当の×××」を追求しようとするなら、その対象は「本当の感情」しかないのです。

このようなことから、仮に、自分探しをするにしても、その正しい方向は、「自分の感情に気付き、その感情が生じるに至った背景や事情を理解し、その感情を肯定できるようになること」といえると思います。  

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