パラノイア(妄想症)
説明
現実の出来事に対する思い違いをもとに、まとまりのある体系的な被害的または誇大的な妄想が徐々に形成されます。
妄想以外には目立ったところは見当たりません。
(迫害妄想・誇大妄想・好訴妄想・発明妄想・恋愛妄想・嫉妬妄想・心気妄想など)
もう一つの説明
個人的な妄想
「妄想」というと、ちょっと重たい感じがするのですが、もう少し簡単に表現すると
- 自分の中のイメージと他者のイメージの間に生じた差異が、修正されずに大きくなってしまった状態
ということができます。
コミュニケーション不足
相違が生じる原因は、コミュニケーションの不足が想定され、
- 全般的に人とのコミュニケーションが苦手(或いは、交流関係がごく限られている)
- とても関心のある事だけれども、それを他人に対して隠したい感じがしていることがある
といった場合に、妄想が生まれる余地が生じると考えています。
ですから、コミュニケーションが円滑に行われるようになれば、これまで妄想として留まっていた考えが、想像と現実に、自然に振り分けられていくようになると考えられます。
快・不快の感覚の蓄積
自分に生じた快・不快の感覚を排出できずに蓄積している場合にも、妄想は形成されます。
いつまでも解消しない『心のモヤモヤ感』を抱えていることは、心地良いものではありません。
そこで、そのモヤモヤを解決するために、その原因をうまく説明することができる事実や概念を拾い集め、つじつまの合う認識として組み立てていき、妄想は固定化していきます。
つじつまの妄想を構築し、その妄想を通して現実を理解することが、モヤモヤとした気持ちを納めることにつながることもあります。
逆に、妄想が固定化することによって、次に、その妄想を原因とした解決行動を始めることもあります。
【参考】
躁(そう)状態・鬱(うつ)状態・躁鬱(そううつ)状態に関する仮説
妄想と社会の常識
ここまでは、個人的な要因によって生じる妄想について説明しましたが、それとは別に妄想を生み出すカラクリがあります。
それは、
- 社会が何を常識として受けとめているのか
- 私たちが認識している全てのことは妄想である
によって左右されます。
更に、極論してしまえば、 と言ってもいいところがあります。
しかし、我々は、それらを妄想とは認識しません。
なぜかと言うと、社会に属する人の中で「それは確かなことだろう」と認識する人の割合の多い考えを『真実』だと認識するところがあるからです。
誰かが、より真実に近いことを主張したところで、社会がそれを受けとめなければ、それは妄想と化してしまいます。
「天動説」が一般的に受け入れられている社会の中で「地動説」を主張した中世の天文学者コペルニクスは、社会によって妄想症と分類されてしまった例だと思います。
発明妄想と呼ばれている状態は、それが本当に妄想なのか、或いは、社会やそれを聞かされた人が頑固なだけなのか、ということを区別するのは非常に難しいところがあります。
報道と社会的妄想
話は少しそれますが、そういう意味で、大衆に対して直接的に働きかけることのできるマスコミの様々な行為は、社会的妄想を容易に作り上げることができてしまうので非常に厄介です。
評論家やキャスターや記者の論調を鵜呑みにせずに、情報の中から事実のみ拾い上げ、我々個人個人ががきちんと考えて判断していかなければ、真実にたどり着くことはないのだろうと思います。
逆に、真実から遠ざけられてしまうことの方が多いのかもしれないと心配です。
噂(うわさ)
身近な人の間で妙な噂話が広まった状態も、妄想症の一種と言っても良いかもしれません。
全体が妄想にかかってしまった場合、苦しむのは妄想にかかっていない人です。
妄想はいずれは解けて真実が理解されることになるとは思いますが、全体が一旦妄想症状態に陥ってしまうと、その妄想が解けるまでには、かなりの時間を要することが多いと思います。
その間、自分ひとりきりで耐えようとするのは、とても苦しいことです。 そんな苦しみを一人で我慢せずに、誰かに話を聴いてもらい、気持ちを支えてもらうことが大切です。
身近な人の中に、親身に話を聴いてくれる人を見つけることが難しいときは、心理カウンセリングを活用すると良いでしょう。
心理カウンセラーは、あなたの話にじっくりと耳を傾けてくれるはずです。