心を楽にするために振り返る子育て

各部の概要

第1部、第2部 関連動画

第3部、第4部 関連動画

第1部、第2部 「心の苦しさ」の解釈 の概要

正常に稼働するコンピュータでも、プログラムの品質によっては、その処理が非常に遅くなったり、異常終了したりすることがあります。

また、冷却効率が悪いために、オーバーヒートして、システムがダウンしてしまうこともあります。

このようなトラブルに陥ったとき、その解決のために、コンピュータの心臓部であるCPU(演算装置)だけを問題視することはありません。

プログラムや冷却装置などの周辺装置も点検し、全体として最適な状態になるように調整します。

心についても同じことがいえます。

「心として働くコンピュータ」の、CPUに当たるのが「脳」、プログラムに当たるのが「学習によって身につけた思考や反応」、冷却装置に当たるのが「心身が疲労したときの過ごし方」と理解できます。

誰の心でも、もともとは何の問題も抱えていないのですが、インストールされたプログラムや冷却装置などがうまく働かなくなってしまうと、コンピュータがオーバーヒートしてしまうように、心もうまく働かなくなるのです。

第1~2部では、心身の全体を考えて、心の苦しさに対処するために、心の苦しさについての「客観的な解釈」と「情緒的な解釈」という2つの視点から説明します。

第3部、第4部 心理カウンセリングの解釈 の概要

最近は、心の苦しさや悩みなどの心理的な課題を抱えているとき、その解決方法に「心理カウンセリングを受ける」という選択肢も加わるようになってきました。

ただ、それは、「心理カウンセリング」という概念が認知されてきたというだけで、まだ、実際に心理カウンセリングが気軽に利用されるような状況には至っていないと感じています。

そのような状況にある理由は、「心理カウンセリングを活用すれば、心の問題を解決できる」と確信できないからだと思っています。

心の苦しさの原因が明確になっていないのですから仕方ありません。

精神科や心療内科の医師は、問診はしても十分に時間をかけて心理カウンセリングを行うことは、あまりありません。

また、私たちは、心の病気や精神症状をドーパミンなどの神経伝達物質との関係で説明している情報に触れる機会が多いので、そのような理論によって裏付けられる薬物療法には納得感があり、「心の治療 = 薬物療法」という考え方が一般的に受け入れられています。

このように、心理カウンセリングは、医師によって行われることがなく、薬を処方されることもないことから、私たちの認識の中では、心の医療から離れたところに位置づけられてしまっていることも、その効果を期待しにくい一因となっていると考えています。

しかし、投薬だけに頼る治療には違和感を抱いています。

例えば、100mを全力で走った後のことを考えてみて下さい。

息を切らせて苦しがって地べたにしゃがみ込んでしまっても、安静にしていれば、やがて、心拍や呼吸は落ち着いて楽になっていくことを、私たちは知っています。

ですから、100mを全力疾走して、このような状態になったからといって、薬を飲む人や薬を飲ませようとする人はいません。

投薬だけに頼る心の治療は、このような状態に至った経緯を無視して、呼吸や心拍が速くなったことだけを問題として取り上げて、脈拍を落とすための薬を飲むのと同じように感じてしまうのです。

人体に備わっている自己回復能力を無視して、薬を飲むことだけが治療だと信じてしまうと、心の苦しさに心理カウンセリングが役立つとは考えにくくなります。

しかし、有能な心理カウンセラーによる適切な心理カウンセリングを受ければ、心の苦しさが楽になることが多いのも事実なのです。

第3~4部では、一般の方がインターネットなどで情報を探しても、ハッキリした答えを見つけることが難しい「心理カウンセリングで心が楽になる理由」と「心理カウンセリングの活用法」について、詳しく説明していきます。

第5部、第6部 催眠状態から理解した心の解釈 の概要

私たちは、「人の感じ方や考え方は、人によって異なる」ということを、頭では分かっていても、心から受け入れられていないところがあります。

私たちは、全ての人が同じ世界に生きていて、その中の現実(実体や出来事など)も、各自の感じ方や考え方に違いが生じることはあるものの、共通の事実として捉えるところから始まると思っているところがあります。

しかし、そのように思っていると、「人それぞれ考え方は違う」と口では言っていても、自分と同じように感じたり考えたり行動したりしない人を理解するのは難しくなり、そのような人に対して否定的な気持ちを持ってしまうことになります。

ところが、「世界は、人によって異なる」と考えると、理解が変わってきます。

世界が異なるということは、「それぞれの人の世界を構成している現実」や「それぞれの人が現実から受ける刺激」も異なることになります。

そうすると、感じること、考えること、行動することに違いが生じるのも当然のことだと自然に考えられるようになります。

更に、理解できない人の感じ方、考え方、行動の仕方ではなく、「その人が生きている世界」を知ろうとする方にも意識が向くようになり、その結果、「人の感じ方や考え方は、人によって異なる」ということを、自然に受け入れられるようになります。

極端に客観的な考え方をすれば、この世界のあらゆるものは意味のない実体であり、そのような実体で構成される世界で起こる全ての出来事も、意味を持たない事象だといえます。

そんな意味のない実体や意味のない事象に対して、それぞれの人が、それぞれの人にとっての意味付けをすることによって、それぞれの人にとっての現実ができあがっています。

つまり、現実の正体は、それぞれの人の主観だといえるのです。

主観は、人の外側ではなく人の内側(心の中)にあります。

ですから、主観によって作られる現実も、唯一無二のものではなく、人の数だけ存在するということができます。 

私たちは、「全ての人に共通の現実」を客観的に把握して、その現実に反応したり働きかけたりしていると思っていますが、実際は、それらに自分にとっての意味を付け加えて作り出したイメージを現実と認識し、そのイメージに反応したり働きかけたりしているのです。

ですから、人がどのように感じているのかを理解するためには、それぞれの人の現実、すなわち、それぞれの人の現実に対するイメージを知る必要があります。

同じようなことが、心の苦しさを解決しようとするときにもいえます。

心の苦しさの原因を見つけ出そうとする前に、自分にとっての現実が、「心の苦しさを生じさせるイメージ」や「心の苦しさから抜け出せなくなるイメージ」になっていないかを点検する必要があります。

第5~6部では、催眠状態から理解したことに基づいて、このような現実についての解釈を説明します。

また、私たちが、「人間は、他の動物と異なっている」と考える根拠になっている言葉や思考についても説明します。

かなり深入りした内容なので分かりにくいかもしれませんが、理屈を好まれる方や、禅に関心のある方には、興味を持って頂ける内容だと思っています。

ここで説明する現実、言葉、思考に関する解釈が、社会性の中に埋もれていた自分本来の主観を取り戻し、世界に対する「生きやすいイメージ」を手に入れるきっかけとして頂けることを願っています。  

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