心を楽にするために振り返る子育て

01 言葉の現実

1-1 言語的刺激と意味

聴覚が機能している人にとっての言葉は、人の声のような性質を持った音声イメージとしてとらえられます。

例えば、文章を黙読するときには、頭の中では、自分が声を出して読み、そして、その声を聞いているような感覚になっています。

また、何かを考えているときに頭に浮かぶ言葉にも、自分の声の性質を感じています。

他の人が話すのを聞いているときには、その言葉に、相手の声の性質を感じています。

私たちに言葉を感じさせるトリガーには、文字[視覚]、口の動き[視覚]、点字[触覚]、声[聴覚]など様々なものがあります。

しかし、トリガーの種類が異なっても、それによって頭の中に生じている「その意味を感じさせるもの」には何の違いもありません。

例えば、次の文字を眺めてみて下さい。

音の性質を持つ「と」・「け」・「い」という言葉が浮かび、同時にその意味も理解します。

今度は、その文字から、どのように意味を理解しているかを、もう少し詳しく感じてみて下さい。

「時計」という文字の側ではなく、自分の側に「その意味を感じさせるもの」が生じていることに気付くと思います。

目に映った「時計」や「とけい」という文字、あるいは、それを声に出して読んだときの「と」・「け」・「い」という音から、モヤモヤとした「時計を感じさせるイメージ」が呼び起こされていることに気付くと思います。

そして、そのイメージから感じ取ったことを、頭に浮かんでいる「とけい」という言葉や視覚的にとらえた言葉である「時計」という文字にオーバーラップさせて、その意味を理解しているのです。

このように、私たちは、その言葉の意味を、言葉から直接理解しているのではなく、自分の中に浮かんだイメージによって理解しているのです。

このようなことは、文字[視覚]、口の動き[視覚]、点字[触覚]、声[聴覚]など、言葉を感じさせるあらゆることに対して起こっています。

言葉の背後にある「モヤモヤとしたイメージ」には、自分がこれまで知り得た時計に関する情報が詰まっています。時計の種類(腕時計・柱時計・置き時計・鳩時計・デジタル時計・・・)、時計の使い方、時間の読み方、時針・分針・秒針の動き方、時を刻む音、重さ、触った感触、時間の意味、時間に関わる生活習慣・・・、自分の感覚器官によって得たままの非言語的情報、それらの情報から自分なりに解釈したことなどが、1つに溶け合っています。(このような意味やイメージがひとかたまりになったものを、以降、「意味イメージ集合体」と呼ぶことにします。)

更に、「時計」に関する意味イメージ集合体は、実物の「時計」を見たときにも同じように呼び起こされて、「時計の実物」の意味も理解します。

知覚現実の中の「単なる線の組み合わせである文字」、「単なる音の組み合わせである声」に対して、記憶投影現実の中に呼び起こされた意味イメージ集合体がオーバーラップされて、私たちにとっての現実(合成現実)の中で、意味を持つ言葉となるのです。

言葉を話したり、聞いたり、読んだりしているときは、言葉そのものから意味を理解しているのではなく、言葉から想起されるこのような意味イメージ集合体を次々と感じながら意味を理解しているのです。

基本的に、言葉には記憶投影現実の中に、その人にとっての意味イメージ集合体を想起させる役割しかないと考えられます。

想起された意味イメージ集合体は私たちの頭に残りますが、それを想起させるトリガーとなった言葉はその役割を終え、本来の「ただの線の組み合わせ」や「ただの音の組み合わせ」の位置づけでしかなくなってしまいます。

同じ文字を見続けていると、見ている文字の意味が分からなくなることがあります。

ゲシュタルト崩壊と呼ばれる心理現象です。これは、言葉(文字/音)が意味イメージ集合体を想起させる役割を終えた結果、言葉と意味イメージ集合体とのつながりが切れてしまうことが原因だと考えています。

このようなことから、同じ言葉によって、それぞれの人に想起される意味は何となく似ているけれども、細かいところでは様々な違いがあるということが想像できます。

ですから、私たちはきちんとコミュニケーションがとれているように思っていますが、正確なコミュニケーションは、ほとんど行われていないといえるのです。

私たちにとっての現実(合成現実)の中の「言語の現実」をクローズアップして、それを構成する「知覚現実の中の言葉」と、「記憶投影現実の中の言葉」との関係を説明しました。

1-2 「言語の現実」に特有の特徴

言語の現実に特有の特徴として、その言葉を発信する対象を特定する働きがあります。

その言葉を、どのような感覚器官を通して受けたのかによって、文字による言葉なのか、声による言葉なのか、いずれにも該当しないのかの区別をします。

「音声による言葉」と認識すれば、自分が把握している状況などによって自分なりの解釈を付け加えて、「人の話を聞いている」、「テレビで何か言っている」、「他人の会話が聞こえた」というように認識します。

また、記憶されている人別の声質などと照合して、それを発信する人物を特定します。

「文字による言葉」と判断すれば、「文字を読んでいる」、「文字が書いてある」、「文字を見た」というように認識します。

「音声と文字のどちらでもない」と判断すれば、「自分が考えている」、「思い出した」、「考えが浮かんだ」、「○○さんは×××と思っているのではないかと想像した」・・・などというように認識します。

このようにして、自分の頭に浮かんだ言葉の発信源が特定されます。

更に、「音声による言葉」や「文字による言葉」の場合は、そのときの状況や言葉の意味などによって、言葉を伝えようとしている相手を把握し、それが自分であれば、言葉を発信した人とコミュニケーションをすることになります。  

タイトルとURLをコピーしました