心を楽にするために振り返る子育て

05 感覚と行動の関係

5-1 人の行動は、感覚によってコントロールされる

以前、催眠を利用してくしゃみが出るかどうかを確かめたことがありました。

私の予想では、それが可能だとしても、ただ「くしゃみ」という反応(行動)だけが単純に生じるというものでした。

実験は成功し、くしゃみが出ました。

しかし、協力者にその体験を確認してみると、予想とは少し違っていました。

「くしゃみ」という反応が単純に起こるのではなく、「鼻がムズムズして、その結果としてくしゃみが出た」というもので、日常の普通のくしゃみと同じ体験だったのです。

催眠中に「鼻がムズムズする」といった言葉は一切使っていませんでしたから、鼻にムズムズした感覚が生じたことは少し不思議でした。他にもいくつかの実験をしましたが、いずれも「まず感覚が生じ、その感覚が発端となって行動が引き起こされる」という流れは同じでした。

これらの実験によって、「行動は、それ自体が単独で起きるのではなく、感覚によって引き起こされている」と理解しました。

「人の行動は、感覚によってコントロールされる仕組みになっている」と解釈することもできます。

実験でくしゃみを引き起こした感覚は、知覚現実からの刺激によるものではありません。

記憶投影現実の中で生じた感覚です。

その感覚によって、実際の行動がコントロールされたのです。

ですから、記憶投影現実の中で生じる感覚にも、行動をコントロールする働きがあると考えられます。

5-2 人が反応する現実

例えば、目の前の人があなたの頭上を見て「危ない!」と叫んだのを聞いて、自分の頭上を見たとします。

大抵の人は、自分が頭上を見たのは、「危ない!」という言葉と叫んだ人の様子に反応したからだと考えると思います。

しかし、実際は、「危ない!」という言葉と叫んだ人の様子から、自分の頭上に嫌な感覚が生じて、その感覚に反応した結果、「自分の上を見る」という行動が生じるのです。

ここにもう少し具体的な状況を設定してみます。

例えば、クレーンで大きな鉄骨を吊り上げているビルの建築現場で、同じように叫ばれたと想像してみて下さい。

今度は、上を見ないで、そこから可能な限り離れようと走り出すのではないかと思います。

また、野球の練習をしているグランドで同じように叫ばれたと想像してみて下さい。

今度は、走り出しはしないで、その場に頭を抱えてしゃがみ込むのではないかと思います。

このように、同じ「危ない!」という言葉を聞いたとしても、人の記憶投影現実の中に創り出されるイメージは、周りの状況によって異なります。

そして、人はそれぞれのイメージからの刺激を受けることによって生じる感覚に反応するため、同じ言葉に対する反応も異なってくるのです。

これらの例は、調査によるものではなく、あくまでも私の想像なので、実際の状況で何をイメージしてどのような反応をするかは分かりません。

しかし、私たちは、自分のイメージの中に生じる物体・現象・感覚などを、あたかも現実のことのように受けとめて反応しているのは、確かなことだと考えています。

5-3 日常の現実

「5-2 人が反応する現実」の例のような危機的状況でなくても、人が記憶投影現実に反応することは日常的に起こっています。

例えば、野球でピッチャーの投げたボールをバッターが打つところを想像してみて下さい。

「ピッチャーがボールを投げて、ホームベースを通過するボールをバッターが打つ」ということは、全てが現実の中で起こっているように思えます。

しかし、実際にバッターボックスに立つと、そうではないことが分かります。

ボールを見ているだけでは、あっという間にホームベース上を通り過ぎ、バットを振ることもできないのです。

そこで、試合状況、ピッチャーの動作や癖、キャッチャーの気配など、様々な情報を総合して、ボールがホームベース上を通る道筋・タイミングなどをイメージします。

そのイメージはその時々のちょっとした情報の変化によって刻々と修正され、バッターはそのイメージしたボールに向かってバットを振り抜きます。

イメージ通りにバットが振れても、ボールのイメージが現実とずれていれば、バットはボールに当たりません。

また、ボールのイメージが現実と一致しても、イメージ通りにバットを振れなければバットはボールには当たりません。

このように、私たちにとって、現実とイメージが重なり合うのはバットとボールが交差するほんの一瞬だけで、それ以外のほとんどはイメージの中の出来事を現実だと思っているといえるのです。

5-4 現実は人によって異なる

私たちは、誰もが「同じ現実を生きている」と信じて疑うことはありません。

しかし、実態は、そうではないのです。

これまで説明したように、それぞれの人が記憶投影現実を知覚現実に重ね合わせたものを自分にとっての現実として認識して生きています。

記憶投影現実は、それぞれの人の経験や知識などの記憶を基にして創られるわけですから、全く同じ人生を歩む人がいないことを考えると、人によって異なるといえます。

ですから、記憶投影現実と知覚現実から構成されている合成現実(人にとっての現実)も、似たところがあったとしても、全く同じものなど1つとしてないといえるのです。  

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