02 学習によって身につけた条件反射による苦しさ
2-1 体の仕組み
ここで、「心がある」と感じる部位に関する仮説を説明します。
かき氷を食べたとき、頭がキーンと痛くなることがあります。
水を飲むと、この頭の痛みは治まります。かき氷を食べて、頭が痛くなっているとき、他に痛みを感じているところがないか確かめてみると、胸のあたりの痛みに気付くはずです。
悩んでいる状態のとき、それを胸の苦しさやモヤモヤと感じやすい人と、頭の痛みや頭のモヤモヤと感じやすい人に分かれるのは、このようなことが関係しているのだろうと想像しています。
鳥は、雨の日に、空を飛び回りません。
このとき鳥は「雨だから、今日は空を飛ばないようにしよう」とは考えることはないでしょう。
これは、「天気が悪いと何もしたくなくなる仕組み」があることによると考えられます。
ですから、「雨が降ると気分が沈む」ということをうつの特徴とする説明がありますが、それは動物としてはとても自然なことで、逆に、雨の日に元気に動き回っている方が異常だとさえ思えます。
このように、動物の行動は、状況に合わせて生じる感覚や気分によって、コントロールされているといえます。
人は、悲しみ・楽しみ・心配・切なさ・愛情・寂しさなど、様々な感情を、「胸がつまる」・「胸がワクワクする」・「胸騒ぎがする」・「胸が熱くなる」など、胸に何らかの感覚が生じる様子によって表現します。
人がこのような解釈をするのは、胸には感覚や感情を生じさせ、それを感じとる仕組みがあるからだと考えています。
2-2 条件反射と心が苦しい感覚
条件反射とは、条件反応とも呼ばれ、ある条件が整ったときに、その状況に最もふさわしい行動を効率的に生じさせる反応です。
条件反射では、行動を起こすに当たって最も時間を要する思考は省略され、状況に反応する形で即座に行動が生じます。
このような条件反射は、同様の状況を繰り返し体験するうちに、その状況に陥るかどうかの分かれ道になる条件を雰囲気として把握し、それを好転させる可能性が高い行動を学習によって身につけたものです。
条件反射には、「自分にとって好ましいことを再体験する確率を高めるもの」と、「自分にとって好ましくないことを再体験する確率を低下させる(回避する)もの」の2種類があります。
ここでは、回避するための条件反射について説明します。
条件反射は、特定の状況での行動が、自分に生じる感覚によってコントロールされる反応です。
体の特定の部分に生じる不快感(手や腕など)は、特定の動作をコントロールし、人体の中心的な位置である胸部に生じる不快感は、人としての活動全体をコントロールするところがあります。
条件反射を起こす仕組みは、過去につらい経験をしたときと同じような雰囲気を感じると、それを回避するのに最も適切と思われる体の部位に不快感を生じさせます。
私たちは、その不快感に反応することによって、通常の思考を中断させられ、自動的に、過去と同様の体験を回避するための思考や行動を引き起こさせられます。
少し話がそれますが、例えば、自覚していない本当の気持ちに反する行動をしようとすると、行動しようとする自分の意思に反して、行動できない状態になることがあります。
一概にはいえないのですが、書痙やイップスと呼ばれる状態がこれにあたります。
これは条件反射によって行動できなくなっているようにも思えるのですが、この場合は、自覚していないやりたくない気持ちが行動として現れた状態(行動化)で、条件反射とは少し違います。
条件反射の話に戻します。
条件反射の役割の1つが自分の安全を守ることですから、危険が予測される行動にブレーキをかけるのも大切な役割です。
私たちが行動を躊躇しているとき、胸に苦しさのような不快を感じています。
私たちはこの感覚を、行動に対する恐怖感、行動しても仕方がないという無力感(無気力)といった解釈をします。
また、何らかの行動をしないと危険に直面すると予測される場合は、行動のアクセルを踏むのも、条件反射の大切な役割です。
このときも、胸に苦しさのようなものを感じています。この感覚は、「何かしなければならない」という焦燥感、「何もしていない」という罪悪感といった意味に解釈されます。
条件反射は学習によって身につきます。
つまり、「自分が感じる -> 自分らしく考える -> 自分らしく行動する」という自分らしい営みが妨げられた経験が多ければ多いほど、学習によって苦しさを身につけてしまう可能性が高まると考えられます。
また、自分らしい営みが妨げられた経験が多ければ多いほど、抱えてしまう心の苦しさも大きなものになってしまう恐れもあります。
ですから、親が、子供の主体性を尊重せずに、自分の思い通りにコントロールしようとすればするほど、子供の心に、人生につきまとう苦しさの種を植え付けて、子供の将来から自分らしい営みも奪い取ることになるのです。
このようなことから、今、心の苦しさを感じているとしたら、現在の状況に自分から自由を奪う何かがあるか、過去に何者かから感じ方・考え方・行動を厳しく制限されていた可能性があると考えられます。
2-3 感覚の混乱
息をしばらく止めていると、次第に息苦しくなってきます。
その息苦しさの感覚は、胸に感じます。
また、様々な感情も、胸の感覚として感じます。
更に、条件反射によって行動をコントロールするための感覚にも胸に感じるものがあります。
このように、息苦しさも、条件反射を起こすための感覚も、感情も、全て胸に感じる仕組みになっています。
ですから、息苦しさや胸の苦しさを心の苦しさと勘違いしてしまいやすいのです。
2-4 心
私たちは、「心 = 自分」と考えているところがあります。
しかし、私たちが心と呼んでいるものは、「学習による条件反射」や「祖先から遺伝的に伝えられた条件反射」を起こさせるための仕組みに過ぎず、自分という存在の本質とは全く関係ないと考えています。
自分というものは、次の5つに分割できます。
そして、「心 = 自分」と仮定すると、自分を5つに分割したものを心を構成する要素と考えることができます。
[1]気付いている自分(自己意識)
[2]感じる自分(感覚)
[3]考える自分(思考)
[4]行動する自分(行動)
[5]条件反射を起こす自分(条件反射)
※感情は、感覚を思考によって解釈して作り出された概念で、感覚と同じと考えています。
この[5]以外が、もともとの自分であり、その本質的な部分は[1]となります。
私の気持ちとしては[2]~[4]も自分の本質としたかったのですが、[5]が学習した反応を起こさせるための感覚を生じさせるので、自分が感じている感覚[2]を、目の前の状況に対する純粋な感覚と区別するのが難しいところがあり、自分の本質からは除外しました。
また、[3]は[2]に左右され、[4]も[2]や[2]の影響を受けた[3]に左右されます。
ですから[5]の影響から完全に独立している[1]だけが、どんなときでも揺るがないため、5つある心の要素の中で、自分という存在の本質と位置づけられる唯一の部分だと考えました。
ちなみに、[5]の影響を受けない[2][3][4]が生まれ持った個性で、[5]の影響を受けた[2][3][4]が、後天的に身につけた性格と考えることができます。
人は、[5]の影響によって何らかの制御を受けて、自然体ではなくなってしまうところがありますが、[5]の影響も、それまで生きてきた証しであり、その人の味(その人らしさ)の一部ということもできます。
ですから、その全てを悪者にする必要はありません。
望み通りに行動できないことは苦しいことなので、[5]の影響を受けたものの全てを自分らしさとして受け入れるのは難しいところがあります。
かといって[5]の全てを否定するのは、自分自身やそれまでの人生を否定することに近い意味があり、自分を追い詰めて苦しい気持ちにしてしまう可能性があります。
そこで、[5]の全てを否定するのではなく、望み通りの行動を妨げる部分に限定して、条件反射を軽減させる取り組みをすればいいのです。
これが、いわゆる解決指向型の心理カウンセリングにあたります。
私が「心の本質に問題がある人はいない」と考えているのは、心の本質である[1]は、気付くか気付かないかの違いしかなく、それ以外の問題が起こる余地は一切ないと考えられるからです。
心に関わる種々の問題は[5]の影響であり、後天的なものです。
心の本質の問題ではありません。
ですから、心の苦しさなどの心理的な問題は、[5]を調整すれば解決すると考えることができるのです。