08.新しい出合いと標準化
8.新しい出合いと標準化
人間にとって、この世の中は、未知なることが溢れかえっています。
いろいろな出来事に出合うたびに、こまごまとしたことを一から認知し、考え、判断していたのでは大変です。
行動範囲を広げようとしても、処理すべき情報が多くなりすぎて対処することが困難になってしまうように思います。
そこで、ある新しい出来事に出合ったとき、状況とそれに対する対応と結果に伴う自分の感情、客観的(論理的)な理解などを、それを自分の中で分類・整理して以降の判断基準とするのです。
それは蓄積されて、行動はある意味では合理的になっていきます。
蓄積されたものは、以降の経験で修正されたり、強化されたりします。
例ですが、ビルの谷間からある看板の一文字が見えたとき、その後に続く文字が分かってしまったりすることに似ています。
違う例で説明します。
たとえば、ある木の実を食べてひどい下痢で死にそうな思いをした人がいたとします。
その人は再び木の実を見たとしても下痢でつらかったときのことが思い出されて、恐らく食べようとはしないでしょう。
このとき、木の実という物体(視覚、触覚、嗅覚など)と、下痢という経験と、そのときの気持ちとが有機的に結びついた一つのこととして認識されているのです。
その木の実には、毒が含まれていた恐れもあるので、「その人がその木の実を二度と食べないだろう」ということは、生命を守るためには大変重要なことです。
食わず嫌い(恐らく1回は食べていると思うのですが・・・)というのは、ある意味、理にかなった行動なのです。
このように、色々な経験がそれぞれ感情などを含めた一塊のものとして蓄積され、人は再び同じ経験をしようとしているとき、その事実の記憶と感情がよよみがえり、深く考え込むことなく素早く対処が出来るのです。
それは、いわば生存に関する成功体験であるので、同種の出来事に直面しようとしたときは、過去のそれが引き合いに出されて対処されるのは当然であるように思います。
【出合いの例】
- 人 ※ 最初の出合いは母であり家庭であると思います。
- 経験(体調、出来事、態度、感情)
- もの
- 場所
- 考え、理論(真理)