11. 「こころ救済システム」を体得する流れ
前節では、「嫌な気持ちを大丈夫にする道筋とはどういうものか? 」を実現するシステムについて説明しました。
今節では、子供がそのシステムを体得する流れについて説明したいと思います
11-01. 第一段階(新生児期~乳児期)
この時期の子供の感情表現は、自分に不快な感じが生じたとき、それを『泣く』ということで表現し、親が何らかの対応をした結果、不快が解消すれば、スヤスヤ眠るといったパターンが繰り返されます。
基本は
- お腹が空いたら、乳を飲ませてもらう
- 排泄したら、オムツを取り替えてもらう
ということで、子供が泣いた時、親の対応は、まずその辺のことをチェックすることから始まると思います。
それでも、子供の不快の原因が分からないとき、「暑くないか?」「寒くないか?」「うるさくないか?」「痛くないか?」などなど、解決するまで、子供の不快の原因を推測し、その解消への試行錯誤を続けます。
それでも、原因が無いとき、『ただ、抱き上げて子守唄でも歌いながらあやしていると、寝てしまう』なんてこともよくあることだと思います。
ここは何の根拠もなく直感的に書いてしまうのですが・・・
この『何だか分からない不快な状況のとき、あやしてもらうと安心になって眠ることができた』という経験を重ねることが、「訳の分からない不快な感じでも、誰かと関わってもらうことで安心になるだろう」という期待感につながるのかもしれないというように思います。
11-02. 第二段階(幼児期)
言葉や様々なことへの理解が深まっていく時期で、どうしても、子供の自由な感覚と親の価値観との衝突が起こってしまい、新生児期~乳児期の時のように無条件の受けとめが困難な場合が、頻繁に起こり始めるところだと思います。
例え、それが社会の常識を身に付けさせるしつけであっても、それを言われる側の子供にとっては、その時に良かれと思ってしている自分の行動を否定されることなのですから、不快な感情(嫌な気持ち)が生じるのは当然のことと思います。
そこで非常に大切なことが、親の役割分担なのです。
これは、一般的にも良く言われている事だと思います。
- 母親が叱り役になったら、父親が子供のあやし役になる
- 父親が叱り役になったら、母親が子供のあやし役になる
しつけということでは、このような表現になりますが、どちらかが感情的に怒ったとしても、もう片方の親があやし役になるということです。
怒られた内容にはあまり触れずに、泣いている子供を抱き上げて、「怒られたか、そうかそうか、怒られて嫌だよね」といった感じに、ただ、一緒にいてあげれば、子供はやがて自然に泣き止み、元気になって離れていきます。
大人になるにつれて表現方法は複雑になります。簡単に言うと、泣くのではなく、言葉を用いて表そうとするようになるということです。
しかし、その方法は異なっても、『嫌な気持ちを表現する』という意味では同じ事なのです。
ですから、この『子供が嫌な気持ちのときに泣く』ということを当たり前のこととして受け入れられる状況がなければ、きっと、成長しても、『嫌な気持ちは表現しない』というスタンスは持ち続けることになってしまうのではないかと思います。
つまり、
ということを体験し、その積み重ねることが、何か嫌な出来事に直面した時に、まず気持ちを大丈夫にしようとする行動や思考の基礎となるのだろうと思うのです。
そして、このスタンスができたとき、親以外の大人や友達やどこかのお兄ちゃんやお姉ちゃんなども、「あやし役」の候補として、その子供の頭に浮かぶようになり、実際、嫌な気持ちを救ってもらったりすることにもつながっていくのではないかと思います。
逆に、「あやし役」の方からのアプローチがあった場合も、それを拒絶せずにありがたく頂戴することにもつながるのだろうと思います。
もし、両親とも同じように責めると、
- 嫌な気持ちは、一人で我慢した方がまだマシ
と考えるようになるだろうと思います。
また、泣いている子供をもう片方の親が放置したりするような対応をしていると、
- 嫌な気持ちは自分一人で耐えるしかないものだ
と考えるようになるかもしれません。
そんな風に思い込まない為に、
と思っておいた方が良いと思います。
『泣いた子供を子供を抱き上げること』は、『子供の自分勝手な行動を容認する』ということにはならないのです。
次節では、
- それが正常に機能している家庭
- 家庭が正常に機能するから、逆に生じてしまう課題
について説明したいと思います。