甘える、甘やかす

一般的に用いられる時の意味
本来、『甘える』とか『甘やかす』などということは、意識する必要など無いことなのですが、特に、子供の行動を評価したり、それに伴って自分の接し方・子育てを振り返るときに、なぜか、これらの言葉がしばしば持ち出されます。
そして、自分の思い通りにその人が行動しないときに『お前は甘えている』とか、そんな相手への自分の行動の影響を振り返るときに『甘やかしたからこのようになってしまったのかもしれない・・・』と悪いことの原因の一つとして、悪いニアンスをもって広く認知されてしまっているところがあります。
『甘える』の認識の現状
心が安心した状態で安定する為には、実は、この『甘やかす(甘える)』ということがとても大切だと考えています。
このことを、次の例を参考にしながら説明します。
【例】
ある母親が3歳くらいの子供を連れて買い物に行くことにしました。
しかし、行く先には「おもちゃ屋」もあります。
母親は、子供に「今日は何も買わないよ」言い、子供もそれに同意しました。
ところが、その子供は「おもちゃ屋」の前に来た時に、やっぱりおもちゃが欲しくなってしまったのです。
その様子を見ていた母親は「今日は何も買わないって約束したでしょ!」と言いながら、子供を連れて行こうとします。
子供は店先で寝転がって泣き叫び始めてしまいました。
この場合、「甘やかす」というと、子供の要求に応えておもちゃを買ってあげることをイメージしてしまいがちです。
そして、「甘やかさない」ということを子育ての方針として意識している親は、泣き叫ぶ子供を、強い意志でその場から引き離そうとするかもしれません。
しかし、母親が、子供をその場から無理矢理引き離し、泣き叫ぶ子供にただ我慢することだけを強いてしまうと、子供にとってお母さんは『敵』以外の何ものでもなくなってしまいます。
そうとすると、子供は自分の気持ちを治めるために母親を頼れなくなってしまい、自分ひとりで我慢するしかなくなってしまいます。
この状態を、もう少し一般的な表現に直してみると、『子供はネガティブな感情を感じ、それを母親に対して表現したことによって、更に辛い気持ちにさせられる経験をした』ということが出来ます。
また、逆に、おもちゃを買い与えたとしたら、その行為は『子供を甘やかせている』というよりは、『子供が泣き叫ぶ状況に親が耐えられず、その耐えられない自分の感覚から逃れる為におもちゃを買い与えてしまった』という意味合いの方が強いのです。
極端な表現をすると、『他人を脅したり、他人が嫌がることをしたりすれば、自分のわがままを通す事が出来る』ということを教えている事と等しいとさえしてしまいます。
つまり、この状況では、『おもちゃを買っても買わなくても、子供にとっては、甘えた事にはならない』ということなのです。
しかし、その時々の対処に、甘やかせる・甘やかせないという何の関連性もない意味合いを付け加えて、その良し悪しを判断しようとしているのです。
本当に『甘える』ために
どうすれば、「甘えた」という事になるのでしょうか?
それは、子供が「自分の感情を相手に受けとめてもらえた」と思えるかどうかによるのです。
この例においての、子供の気持ちは次のようなものだろうと思います。
- おもちゃを買って欲しい
- おもちゃを買わないと約束した事は分かっている
- もしかしたら、買ってくれるかもしれないと考えた
- でも、やっぱり買ってもらえなくて、悲しくなった
これらの気持ちを思いやってみると、子供の泣き叫ぶ様子は「泣き叫んで自分の思い通りにしようとしている」というよりは、「買ってもらえないという経験がつらかった」ということだけなのです。
そして、そんな子供の気持ちと、きちんと向き合ってあげようとすることが、本当の甘えにつながるのです。
例えば、 「そうだね、おもちゃを買って欲しいんだよね。でも、買ってもらえなくて辛いんだね、今日は買ってあげられなくてごめんね・・・」 などと言いながら、気が済むまで親の胸の中で泣かせてあげることは、そんな方法の一つです。
そんな『甘える』という経験の繰り返しは、『辛い気持ち、悲しい気持ちなど、ネガティブな感情を、再び感じたとしても、きっとまた、その気持ちを受けとめて安心させてもらえるだろう』という予感を身につけることにつながります。
そして、そんな予感がしっかりと身に付いた時、不安な世界にも、安心して出て行けるようになるのです。
感情を受けとめてあげないことが日常化すると・・・
子供の泣く様子に耐えられなくなって、おもちゃを買ってあげても、『買ってもらえなくてつらかった』という経験は消えません。
とはいっても、子供は納得して泣き止むことも多いとは思います。
しかし、このような経験を繰り返していくと、何かを失った時、それを取り返すことでしか、自分の気持ちを収めることしかできなくなる恐れがあるのです。
これは、自分の気持ちの為に、他人の気持ちを犠牲にするということにつながるのではないかと考えています。
子供の気持ちに寄り添うために
ここで、『相手の気持ちに向き合う』ということに関連して、少し、補足の説明をします。
「日ごろの自分が意識していること」と「相手の行動や言動など」とが共鳴してしまうと、意識が自分の価値観に集中してしまって、『相手の気持ち』に気付かなくなってしまうことは多いのです。
この傾向は、子供とのコミュニケーションにおいて、特に顕著に現れやすいように感じています。
子供の言葉に親がこのような反応をしてしまうと、子供にとっては、自分の気持ちとは関係のないところで反応されるようなチグハグなコミュニケーションとなってしまいます。
このようなコミュニケーションを繰り返しているうちに、子供が自分自身の気持ちが分からなくなってしまっても不思議ではないように思えるのです。
- 子供が悩んでいる時に、親もその答えを考えようとしてしまう
- 子供が何かにもたついている時などに、親が代わりにそれをやってしまう
などというときも、『解決する/解決しない』や『出来る/出来ない』といったことに意識が向いてしまうことで、『子供の気持ち』から意識がそれてしまっているかもしれないということを疑ってみる必要があります。
まとめ
もし、これからのあなたが悩みから抜け出せないと感じてしまう事があったとき、前で説明したような経験から、自分自身の感情から意識が外れてしまった状態に陥っている恐れがあります。
そんな時は、問題と考えている事柄から意識を一旦はずして、自分自身の感情や気持ちに目を向けようとしてみると良いでしょう。
そして、気付いた自分自身の気持ちを安心させる為に、
- 誰にどのようにして貰うと助けになるのだろうか?
- 誰にどのように言って貰うと助けになるのだろうか?
などということを、じっくり考えてみると、あなたにとっての『本当の安心』を手に入れる為のヒントに気付くきっかけになります。
- あなたの大切な人を、しっかり甘えさせていますか?
- あなたを包んでくれる人、にしっかり甘えていますか?